【imidas 4/21】

グアムと米軍再編と沖縄(上)
第2回
2017/04/21
猿田佐世

先日、グアムをはじめて訪問した。

沖縄の普天間基地移設問題についての日米両政府の合意は、普天間の代替施設として沖縄県名護市の辺野古に新基地を建設し、沖縄に駐留する海兵隊の一部をグアムに移転するというものである。沖縄基地問題に取り組む者として、これまで何度となく「グアム」の名を口にしてきたが、現地の状況を実際に知りたいと調査に足を運んだ。今回と次回とでレポートしたい。

日本では、グアムはリゾート地としてあまりに有名だ。空港でも日本語があふれており、高級免税店が立ち並ぶショッピングモールでは、近年増加している韓国や中国からの旅行者も加わって、東アジア系の人々ばかりが目についた。

しかし、一歩、観光エリアから足を外に向けると、素朴で温かい人々の生活が広がっている。と同時に、巨大な米軍基地が存在する「基地の島」であるという現実も目にした。

調査のメインテーマであった海兵隊移転問題については次回に譲るが、今回はその背景事情として知っておくべき、グアムの歴史や政治的地位、脱植民地化運動などについてごく簡単に概観しておこう。

グアムの概要・政治的地位

グアムは、人口約16万人(2016年)、島の大きさは淡路島と同程度(沖縄本島の約半分、544平方メートル)、東京から民間航空機でわずか3時間半(東京―那覇間は約2時間半)の地にあり、西太平洋にあるマリアナ諸島の南端の島である。

日本ではアメリカの「準州」と表現されたりするが、正しくはアメリカの「未編入領土(unincorporated territory)」という位置づけでアメリカの統治下にある。グアムの人々は「植民地(colony)」と表現している。国連の非自治地域リストには17の地域が登録されているが(2016年現在)、これにグアムも入っている。人口の人種別構成としては、先住民族のチャモロ人37%、フィリピン系26%、白人7%、そしてその他の民族が多数存在する。チャモロの人々によって現在まで自治権を取り戻すための取り組みが続けられてきた。グアムの歴史は大国に振り回されてきた。スペイン占領(1565年~)およびアメリカ占領(1898年~)を経た後、太平洋戦争中の1941年から約2年半の間、日本軍が「大宮島」と名付けて占領統治。これを、44年にアメリカ軍が奪還した後、現在までアメリカが統治している。

アメリカによる統治

アメリカによる統治の形態は、複雑だ。

アメリカ議会は、1950年、グアムの憲法ともいえる「グアム基本法(The Organic Act of Guam)」を制定した。グアムの統治機構や人権規定はこのグアム基本法に規定されている。アメリカ合衆国憲法やアメリカ法も一部を除き適用される。グアムの人々からは、アメリカにとって都合の良い法律だけがグアムに適用される、との声も聞かれた。

グアムの人々はアメリカ大統領選挙の投票権を持っていない。グアムはその代表としてアメリカ連邦議会に下院議員一人を送っているが、この議員は本会議での投票権を認められていない。筆者がワシントンで会ったあるグアムの人は「議員といっても公的なロビーイストにすぎない」と憤りを見せていた。

アメリカ人一般は、グアムに関心を持っていない。先日、東京で会ったアメリカの友人二人に「グアムに行く」と伝えると、彼らはグアムがアメリカだと知らず、スマートフォンを取り出してグアムについて調べはじめ、「ドルが使われている……!」と驚きの声を上げていた。国際政治に強い関心があり、国際文化比較についての博士課程に進んでいる彼らにしてこの認識なのだ。

グアムの現地調査では、グアムは米軍基地以外の点でアメリカ本土の関心を得ることができないために、基地を受け入れる姿勢を見せることによりワシントンで存在感を出そうとしてきた、という悲しいエピソードも聞いた。

グアムにおける米軍

沖縄の嘉手納空軍飛行場は巨大な基地の代名詞のように日本ではいわれるが、グアムにあるアンダーセン空軍基地はその嘉手納基地の4倍の大きさである。また、アプラ海軍基地や、その他の軍関連施設も合わせ、グアム島の3分の1はアメリカ国防総省の所有地となっている。

グアムでは、人口比当たりの従軍率がアメリカのどこの州よりも高い。その理由を問うてみた。すると、アメリカがグアム解放記念日を設けるなど「日本からの自由解放者」として愛国心教育を行っていること、観光産業はあるもののそれ以外に産業がないために米軍に入隊する人が多いこと、などが挙げられた。話を聞きながら、第二次世界大戦中に、アメリカの日系人が誰よりもアメリカに忠誠を尽くして戦ったとの話を思い出さざるをえなかった。

グアムの脱植民地化運動

沖縄から多くの海兵隊員がグアムに移転されるとの決定を受け、グアムでも強い反対運動が起きている。

これらの基地反対運動とグアムの脱植民地化運動は、かなり連動したものになっている。

自らの道を自分たちで決められるようにすべきであるという自己決定権の視点や、チャモロ文化が土地に根ざす文化であり、基地が先祖代々の土地を奪い、そこに存在する文化を破壊してしまうからといった点から取り組みが重なり合う。

「沖縄であれば、基地を置く際にアメリカ政府は日本政府と交渉をし条約を結ばなければならないが、グアムに基地をおく場合には条約も交渉も何も必要がない」こう聞くと、その連動が理解できる。

チャモロ人による脱植民地化運動は長い歴史を持つが、90年代末以降は、グアム脱植民地化委員会によって、グアムの政治的地位に関するチャモロ人のみの住民投票(plebiscite)を行い、チャモロ人の自己決定を追求する動きとなっている。その後、啓発活動のための予算の問題などから先送りされてきた住民投票だが、現時点では2018年に行うことが運動の目標とされている。

住民投票では、グアムの人々は独立か、自由連合か、アメリカの州か、の三つからグアムの政治的地位を選択することになる。自由連合とは、自治政府を持ち国連にも加盟するが、アメリカが安保・国防上の権限をもつといったミクロネシア連邦のような例を指している。

筆者らのグアム調査は、折しも、この住民投票についての裁判(デイビス事件:Davis v.s. Guam)の判決が連邦地裁から出された直後であった。現在のこのグアムの政治的地位を決める住民投票においてはチャモロ人にしか投票権を認めていない。裁判においては、グアムに住むチャモロ人以外の人々にも投票権があるか否かが争われた。大国政治に翻弄され、また国際化の波の影響も受けて、現在のグアムは前に述べたように多民族国家になっている。連邦地裁は、合衆国憲法修正14条(平等権)と修正15条(選挙権の拡大)を適用して、人種による住民投票権の否定を禁止するとした。長い占領の歴史の中でチャモロ人の自己決定権を求めて戦ってきた人々には厳しい判決である。

脱植民地化をめぐり、グアムでは、アメリカから独立して島を維持することが可能なのかという意見がある。これに対し、独立することで他国との関係も結べるようになり、アメリカと貿易・軍事の協定を結べば現状が変更される程度も抑えることもできる、など、様々な意見が交わされている。人々の意見はそれぞれに分かれるが、どの結果となっても現状の植民地の状態よりはよい、というのが大半の意見のようであった。

住民投票を実施しても結果に拘束力はないが、グアムの意思表明という意味での一定程度の影響力が期待されている。

「沖縄からグアムへ海兵隊が移転する」

これはグアムにおいてどのような意味を持つのか。

次回は、沖縄も翻弄され続けてきた米軍再編に、グアムがどのように影響を受け、現在のグアムの人々がどのように対応しているかについて記していきたい。