前編:優秀な大学生でも「台湾有事の意味がわからない」 日本人が決定的に欠如する危機意識とは?

 

「台湾有事の際、日本はどうすべきか」

東京六大学の一つで講義「日本外交と人権」を受け持っている。先日、クラスをグループに分けて、このテーマでディスカッションし、結果を各自まとめて提出するよう求めた。

自衛隊派遣? 経済制裁? 中立? どんな意見が出ただろう、と思いながら、授業後、学生たちのリアクションペーパーを読んだとき、私を驚愕させたのは「“台湾有事”の意味が分かりませんでした」というコメントであった。

翌週、「台湾有事」が「台湾における戦争」を指していることを伝え、それを知っていたか否かをクラス全員に問うたところ、実にクラスの3分の2が「知らなかった」と答えた。

20年ほど前、「有事法制」制定の際に政府が「戦争法制」と呼ぶと国民の賛成を得られないとして「戦争」を「有事」に呼び変えて広がったこの表現が、政府の狙い通り国民の理解を阻害している。

しかし、政府の策略はさておき、優秀な大学に通う学生の過半数が「“台湾有事”の意味が分からない」という日本社会の中で、政府は「台湾有事は日本有事」と唱えながら、この年末にも敵基地攻撃能力を認め、5年内の年間防衛予算2倍増を閣議決定しようとしている(2022年度予算は約5.4兆円で、27年度に約11兆円となるように積み上げる)。国民的議論の末に決定されるべき大きな変化にもかかわらず、賛否の議論は社会でほとんど耳にしない。圧倒的な国民不在感だ。

そして、わずかになされている議論でも、空虚な軍拡論一本やりで、重要な検討事項はことごとく漏れ落ちている。

では、今の議論から漏れ落ちているのは何か。

人的・物的被害について

まず一つ目。台湾有事のリアリティーが全く語られていない。

米軍が台湾有事に介入することになれば在日米軍基地からの出撃が強く想定され、結果、米軍基地をおく自治体は反撃のターゲットとなる。沖縄では、その空気を正確につかんで「二度と沖縄を戦場にするな」との運動が広がり始めている。沖縄県内の各自治体で避難計画の策定が問題となっているが、石垣市は市民の避難に9.67日を要し、航空機がのべ435機必要、宮古島市も観光客を含め避難にはのべ381機が必要との試算である。有事には自衛隊機は台湾に向かっている可能性が高く、また、いざ避難となれば宮古島市も石垣市も同時避難となる可能性が高い。この数の航空機確保は机上の空論である。シェルター設置も政府が検討するというものの、シェルターや避難計画がどれだけ充実しても、有事になれば大規模な被害は避けられない。

<沖縄の方々には気の毒だけれど、自分は沖縄に住んでいないから大丈夫>

このような意見もあるだろう。しかし、米軍基地は、沖縄に限らない。三沢・横田・横須賀・岩国・佐世保などの各基地受け入れ自治体周辺は同様の被害を受ける可能性があるし、後方支援であっても自衛隊派遣となれば、自衛隊基地ほか国内の随所もターゲットとなる。日本本土に広くシェルターを整備するのは不可能である。

自分たちが有事に被害者となりうるという事実が、日本の議論からすっぽり抜けている。

経済的被害について

この秋、欧州を訪問した際に、ドイツで、独政権与党で重要な地位にある国会議員から質問を受けた。

「日本では、中国への経済制裁についてどんな議論がされているのか?」

中国に対する経済制裁――日本で耳にしたこともなかったため、一瞬、頭が混乱したが、冷静さを保って答えた。

「日本では、対中経済制裁の議論はされていない。経済のデカップリングの議論ですら緒についたところだ。中国は日本の最大の貿易相手国で、全貿易額の約23%(2021年)が対中貿易である。中国への経済制裁などありえない」

会議後に、同席していたドイツのアジア専門家から、「なぜそんなに経済制裁の話が不適切と考えるのか? 日本では台湾有事への派兵の議論もでているんだろう。派兵の前にまず経済制裁を検討するのは当然では?」と声をかけられた。彼とはその後、侃々諤々、数日間議論を続けた。ドイツ最終日、私は結論に達し、彼にこう言った。

「日本政府は威勢のいいことばかり言っているが、都合の悪いことを隠している。これは、その結果だ」

彼らの問題意識はもっともである。日本では軍事力強化の話ばかり議論されるが、情勢が緊迫すれば、米国等の主導で経済制裁が発動され、日本政府の外交姿勢からしてそこに日本が加わらないことは考えられない。ましてや有事に、自衛隊が後方支援であっても参戦すれば、日中貿易は断絶する。対中貿易が途絶えたとき、私たちの生活はどうなるのか。

欧州訪問では、ベルギーの旧友宅にも招かれたが、ウクライナ戦争の影響で電気代だけで月20万円、家賃より電気代のほうが高いとの不満を長々と聞くこととなった。もっとも、電気代の値上がりなど戦争の影響の中では最も些細なものである。

日本に戻り、安保に詳しい友人にこの話をしたところ、日本で対中貿易が断絶したら餓死者が出るのではないかとのコメントが返ってきた。

台湾有事のリアリティーは、このように甚大な人的・物的被害であり、また、中国との貿易断絶により日本に住む私たちすべてが現在よりはるかに苦しい生活を強いられるということである。

日本では政府もメディアも、こういった話を一向にしようとしない。

<いやいや、あなたの言う通り、経済的壊滅や物的人的被害を避けるためにこそ、敵基地攻撃能力や防衛費の急増が必要なんだよ>

しかし、軍事力だけでは戦争は避けられない。

軍事力による抑止は、必ずや相手の対抗策を招き、無限の軍拡競争をもたらす。その状態で抑止が破綻すれば、増強した対抗手段によって、より破滅的結果をもたらすことになる。さらには、どれだけ軍事力を強化したところで偶発的な衝突の可能性は阻止できない。

また、そもそも、軍事力による「抑止(deterrence)」で戦争を防ぐためには、相手が「戦争してでも守るべき利益」を脅かさないことによって戦争の動機をなくす「安心供与(reassurance)」が不可欠であり、そのためには外交が欠かせない。

いま導入されようとしている敵基地攻撃能力(「反撃能力」と政府は言い換えた)についても、発射間際の敵のミサイルを破壊できるような能力をもつことで「抑止力」が高まり、中国の日本に対する攻撃が躊躇され抑制される、という理由付けがなされている。しかし、今、中国は日本に届く弾道ミサイルを600発以上有しているとされており、日本から直接攻撃して中国大陸のミサイル1発を破壊したところで、その次の瞬間、何百発ものミサイルが私たちの頭上に降ってくるのが現実である。そのような極端に不均衡な状態で、抑止効果があるのか甚だ怪しい。