核兵器維持訴えた日本、説明避け沈黙 オバマ政権発足時

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【核兵器維持訴えた日本、説明避け沈黙 オバマ政権発足時】(朝日新聞 5/14)

日本政府が、「核なき世界」を掲げたオバマ前米政権の発足当初から米側に核兵器維持を訴えていたことについて、詳しい説明を避けている。どのような経緯で核軍縮よりも核の傘を優先したのか、「控えたい」「記憶にない」などと繰り返すばかりだ。

2009年にオバマ政権に核戦略を提言した米議会諮問委員会で、出席した日本政府関係者は何を語ったのか。諮問委の事務局長だったポール・ヒューズ氏は、この問題を追及する藤田幸久(国民民主党)、牧山弘恵(立憲民主党)両参院議員が今月上旬に訪米した際に会い、こう語った。

「諮問委は非公開だったので私からは言えない。だが、我々は外国政府に何ができるのかを言う立場にない。メディアや国会議員に説明できるかどうかを決めるのは日本政府自身だ」

発端は米研究者の提起だ。米NGO「憂慮する科学者同盟」のグレゴリー・カラキ上級アナリストは、09年2月の諮問委で秋葉剛男駐米公使(現外務事務次官)らが核兵器維持を訴え、核軍縮にほとんど触れず、オバマ政権の核戦略に影響を与えたと主張。先月の来日時の記者会見では、その場で日本側が配ったとされる意見書も示した。

この件で安倍内閣は先月10日に政府答弁書を閣議決定し、「同委員会(諮問委)は対外的に議論を明らかにしない前提で行われている」として「詳細について答えることは困難」。世界には核兵器を含む危険がまだあるため「日米安保条約の抑止力の下で自国の安全を確保する必要があることなどを説明した」と答えた。

カラキ氏の示した意見書によれば、日本側は諮問委で「中国の核の拡大や近代化」などに触れつつ「望ましい米国の抑止能力」を6項目にわたり主張する一方、核軍縮の具体案を全く示していない。オバマ政権が核なき世界を掲げて登場し、麻生太郎首相も連携を唱えていた当時、こうした米側への提言は日本政府内でどう決まったのか。

政府答弁書は「当時の外相の了解を得た政府の考え方」を伝えたとするが、その当時の外相、自民党の中曽根弘文参院議員は朝日新聞の取材に「詳細は記憶していない。政府・外務省に確認頂ければ」と文書で回答した。

ヒューズ氏は現在、諮問委の事務局だった米平和研究所(USIP)で特別顧問を務めており、全ての会合の記録がUSIPにあるとも説明。これも、政府答弁書の「同委員会として我が国政府関係者との会合の公式な記録は作成していないことを確認している」という主張と食い違う。

この米議会諮問委での日本側発言は、「核の傘」を中心に米国が日本を守る「拡大抑止」を日本の側からいかに支えるかという、その後の新たな同盟協力の起点にもなった。

諮問委は09年5月の報告書で、核問題について日本と対話の場を設けるよう提言。10年に日米の外務・防衛当局幹部による「拡大抑止協議」が始まった。これを主導したのが、諮問委スタッフから米国防次官補代理(核・ミサイル防衛政策担当)となったブラッド・ロバーツ氏だった。

同氏はその後、防衛省防衛研究所の客員研究員として13年の論文で、北朝鮮の核・ミサイル開発や中国軍の近代化について協議する場として拡大抑止協議を高く評価。今後の論点として、米国がロシアに加え中朝に対応するための「核の傘の調整」に加え、それを支える「日本の貢献」としてミサイル防衛強化や敵基地攻撃能力保有を挙げた。

ミサイル防衛は強化され、敵基地攻撃能力保有は年内の防衛大綱見直しでその是非が焦点の一つだ。外務省の秋葉次官は北米局審議官当時(12~14年)に拡大抑止協議にも出席しており、その源流にあたる諮問委で実際に何を訴えていたのかが問われている。(藤田直央)