沖縄の基地問題に本土出身者として関わって考えること

【沖縄の基地問題に本土出身者として関わって考えること】(imidas 12/7)

第7回 2017/12/7
猿田佐世(新外交イニシアティブ事務局長)

先日、高校の同窓会が卒業後約20年ぶりに初めて開催され、故郷の愛知県に戻りました。

卒業して以来顔を合わせていない友人がほとんどでしたが、うれしいことに何人かの恩師や同級生が「メディアで見たよ」「本買って読んだよ」と声をかけてくれました。「沖縄の声をアメリカに伝える」という私の活動を知ってくれていたのです。

そして、何人もから「猿ちゃんが何で沖縄なの?」と聞かれました。

実は、この「猿田さんは何で沖縄のことを一生懸命やっているの?」という質問は、それなりの頻度で投げかけられる質問です。愛知県の高校で共に過ごした友人たちは、私が沖縄出身でないことを当然ながら知っており、特に強く「沖縄出身じゃないのになぜ?」と、思っていたようでした。

本土出身者が沖縄基地建設に反対することへの批判

私は愛知県育ちで、大学から東京に出てきており、沖縄は私のルーツにはまったく重なりません。

10年近く、沖縄の基地問題を自分の中心テーマとして取り組んできましたが、いまだ、自分が沖縄のことをしっかりと理解できているのか、という点については、立ち止まって振り返ることもよくあります。

夫はうちなー3世(夫の祖父母が沖縄から本土に移住)ですが、私にとっては、東京生まれの東京育ちという印象の強い人で、私が沖縄の基地問題に取り組み始めるまで、夫が沖縄の血を引いていることについて私自身が意識することはあまりありませんでした。

「なんで猿田さんが沖縄を?」という問いは、実は沖縄の方々から投げかけられることが多い質問です。沖縄の方々からすると、沖縄出身でない私が、何でそんなに沖縄のために一生懸命なのか、と不思議に思うことがあるようです。

沖縄の基地反対運動を批判する人たちの中には、「辺野古の座り込みに集まっている人は本土の人間だ」と言ったりする人もいます。その人たちからすれば、私も「本土出身者のくせに」ということになるでしょう。

そもそも、辺野古で座り込みをしている人の大半は沖縄の方々ですので、その「批判」自体は正当なものではありません。ですが、本土出身の人間が沖縄の基地問題について熱心に取り組むというのは、批判の対象になるべきことなのでしょうか。

日米外交のゆがみを背負わされている沖縄

もともと関心がなかったわけではありませんが、私が沖縄の問題に深くのめり込むようになったのは、アメリカの首都ワシントンでの留学生活が大きなきっかけでした。

ワシントンで生活することで日米外交の一端を見ることになりました。日米外交が一部の人たちの手により動かされていて、日本に存在するさまざまな声がそこに反映されていないということは、暮らし始めてすぐに気が付きました。

そして、さまざまな問題の中でも特に、沖縄の基地問題には、日米外交のゆがみが端的に表れていました。

「日米安保同盟」「対米従属」「核の傘」……など、アメリカと日本の関係を示す言葉は数多くありますが、それらが目に見える形で現れる「現場」を本土で探しても、さほど多くはありません。また、安保法制反対などの文脈でよく耳にする「日本政府はアメリカの言いなりになるな!」という批判を生む、日米関係に端を発した具体的な被害が目に見える形で現れる「場所」も実は多くはありません。

その日米関係のゆがみや、日米関係に端を発した人権侵害や環境破壊を、目の前に現実のものとして突き付けられているのが沖縄。しかも、その被害は極めて甚大にもかかわらず、本土の人間はほとんど関心を示さず……。

ワシントンで生活しながら、私の沖縄問題への関心はしだいに高まっていきました。日米関係のゆがみを背負わされているのが沖縄であり、究極の被害者が沖縄だと思ったのです。

そうした問題意識を抱いて、私はワシントンで沖縄の問題に取り組み始めました。沖縄の方々の声をアメリカ政府に伝えたい、アメリカの議員に伝えたいと、これまでさまざまな形でお手伝いしてきました。

誰のために沖縄の基地問題に取り組むのか

ワシントンのこの体験がある私にとって、沖縄の基地問題は、「日本人として日本が作り出してしまった問題」という思いで取り組んでいるものであって、「沖縄のために」活動をしている、という気持ちは実はほとんどありません。

沖縄で時々、「沖縄のためにありがとう」と大変ありがたい言葉をかけていただくことがありますが、私の中では、沖縄の方々と協力しながらやっていくんだ、とは思いながらも、誰かのためにというよりは、「自分の問題に取り組んでいる」「自分のためにやっている」という気持ちの方が強いのです。

もちろん、沖縄の方々の思いに背くことになっては、日米関係のゆがみによる「被害」に取り組むことになりません。

特に私は、「沖縄の声をアメリカに伝える」ということを自分の活動の中心に置いているため、その時々刻々変化する「沖縄の声」を体で理解する必要があります。ですから、できる限り沖縄に足を運ぶ、常に沖縄の新聞に目を通す、など、自分なりに努力はしているつもりです。

また、沖縄の方々の意見を聞き、沖縄の方々と共にさまざまな企画を行うようにもしています。

しかし、究極的には、私の沖縄への取り組みは、私自身の問題への取り組みだと思っています。

沖縄出身ではないのに、沖縄の基地問題に取り組むことの難しさは、さまざまあります。

沖縄の方としばらくお付き合いが続いたのちに、私が「私、“うちなー嫁(沖縄人の妻)”なんですよねー」と言うと、沖縄の皆さんの顔があっという間に緩み、「なんねー。猿田さん! それ早く言いなよー」との反応が返ってきます。

本土出身の私はいつまで経っても受け入れてもらえないんだろうなぁ、加害者だし仕方ないよなぁと、改めてこの構造的な差別の問題が頭を巡ります。

昨(2016)年6月、うるま市で20歳の女性が元米軍人に拉致され殺された事件が発覚した後の沖縄の県民大会で、大学生の玉城愛さんが「第二の加害者はあなたたちです」と本土に向かって語りかけました。私たち本土出身者は、沖縄に基地を押し付けている加害者の一人であることを忘れてはいけない。これも現実です。

沖縄の選挙は沖縄だけの問題ではない

2018年は沖縄の選挙イヤーです。2月4日の名護市長選挙、秋口には名護市議会議員選挙、年末に沖縄県知事選挙がやってきます。沖縄の地方選挙は、国政全体に大きく影響する超重要選挙です。

4年前の名護市長選挙でも、自由民主党からは選挙応援に小泉進次郎議員や石破茂議員が入り、6万人しかいない地方の小さな町の選挙に党を挙げて取り組みました。

選挙応援で名護市に入った石破氏は「(自民党推薦の候補者が当選したら)名護市に約500億円規模の振興基金を立ち上げる」と発言。基地建設賛成派からの「辺野古で座り込んでいるのは本土の人だよね?」といった批判など笑ってしまいたくなるほど、強烈な本土からの介入でした。

もっとも、「金で沖縄を買うつもりか」と強い反感を地元の人たちから買ったこともあり、この4年前の選挙では、辺野古基地建設反対派の稲嶺進氏が大差を付けて再選されました。

では、次の2月の名護市長選挙はどうなるでしょう。

翁長雄志知事率いる「オール沖縄」陣営は、10月の衆議院議員選挙で四つある小選挙区のうち一つを落としています。国は沖縄の声を無視し、既成事実を作るべく強引に辺野古の護岸工事を進めており、来夏には埋め立てを本格的に開始しようとしています。工事を後戻りできないようにし、諦めムードを広めたい、というのが国の戦略でもあります。

本格的な埋め立てが来夏なら、今、これを跳ね返すことは沖縄の基地問題にとっても、そして、現在の日米関係や日本の安全保障政策に危惧を持つ本土の我々にとっても極めて重要です。

日本本土の左派・リベラル層には、沖縄の闘いに元気をもらっている人々も少なくありません。沖縄の基地問題は日米関係のゆがみから来るもので、自分の問題だと捉えている私自身は、いつも元気な沖縄に励まされています。沖縄が選挙イヤーを迎える今こそ、本土の人間が沖縄に恩返しをする時だと思います。

【イベントのお知らせ】沖縄・名護で12月11日に大型シンポジウム開催

私が事務局長をしている新外交イニシアティブ(ND)で、12月11日、名護市長選挙を視野に入れながら、シンポジウム「『辺野古が唯一の選択肢』に立ち向かう」を名護市民会館(大ホール)で開催します。稲嶺進名護市長も出席するこのシンポを成功させ、少しでも沖縄で追い風を作り出せれば、と沖縄の方々と協力しながら、スタッフで総力を挙げて取り組んでいます。

この原稿を書く間も、沖縄の方々に協力をお願いするために電話をかけ続けています。被害者だけしかその問題を自分の問題として捉えず、被害者だけしか声を上げないのであれば、社会にある問題は何も解決しません。沖縄の人々を応援する立場として、しかし、私自身の問題としても、沖縄の基地問題に引き続き取り組んでいきたいと思います。

12月11日、沖縄と本土のコラボレーション。皆さま是非いらしてください。19時半から名護市民会館です!

→イベント詳細(新外交イニシアティブのウェブサイトへ)

こちらの記事は、2017年12月7日に「情報・知識&オピニオン imidas」に掲載されています。