第1部 トランプ政権が世界に及ぼすもの
1 トランプ政権が提示する課題
トランプ政権の一方的な関税政策に各国が混乱している。トランプ大統領の政策が一過性のものであれば、この4年間を最小限の損失で乗り切るダメージ・コントロールが必要になる。だが、トランプ氏の主張の原点にあるのは、「自由貿易の下で米国の富が失われ、白人労働者層を中心とした“普通の米国人”の生活が苦境にあり、その解決のために自由貿易や他国の防衛への過剰な関与や国際援助をやめて米国の利益を優先する」という発想である。こうした「内向き」で保護主義的な傾向は、今回のトランプ政権以後も米国政治の底流として継続し、関係国に対し、対米関係コストの大幅な増大を求め続けるだろう。
トランプ氏の“独裁的”手法と米国社会の分断は、民主主義や人権の危機でもある。それは、白人労働者層の権利が少数者保護という「逆差別」によって脅かされているという危機感を背景にしている。移民排斥や多様性の否定は、西欧各国にも広がっている。これは、グローバル化社会の中で拡大した格差や矛盾を、多数決原理と少数意見の尊重という二本柱の民主主義が解決できるかという課題を各国につきつけている。日本でも、「逆差別」批判や所得再分配をめぐる社会の分断が危惧されている。
トランプ政権を突き動かしている実態は、巨大AI企業と投資ファンドであり、これら企業が世界の世論操作や金融市場に及ぼす影響は甚大である。
日本の政治には、これを一過性の「国難」としてとらえ、やみくもな“バラマキ”や防衛力強化などの“間に合わせ”の対応ではなく、また、米国への追従や反米に走るのではなく、これを世界的転換期と認識して、冷静な分析に基づく長期的なビジョンが求められている。
2 トランプ政権の秩序観
(1)国際システムの制度疲労
米国は、従来、「自由貿易を中心とする世界秩序の守り手」として、国連や世界貿易機関(WTO)などの国際システムを主導してきた。米軍のプレゼンスと北大西洋条約機構(NATO)、日米同盟などの同盟ネットワークは、一般的に「国際公共財」とも言われてきた。
トランプ政権は、このシステムを維持する米国のコスト負担を「不公平だ」として忌避している。国際援助は「無駄遣い」、「同盟国を無条件では守らない」という発想は、そこから生じている。難民や飢餓、気候変動といった地球規模の課題への無関心は、人間の安全保障の観点からも、深刻な危機を招いている。
国際システムが「制度疲労」をきたしているのは事実である。しかし、国連や国際法が時代遅れになったのではなく、国連安保理における拒否権を持った大国の態度が国連の活動や国際法の実現を妨げているのである。戦争を否定し主権を尊重する国際世論がより反映されるような国際制度への改革が求められている。
(2)「力による平和」の信奉
トランプ政権は、「力による平和」を信奉している。それは、民主主義的価値観や弱者を守るための平和ではない。ウクライナ、パレスチナのガザ地区をめぐるトランプ政権の対応には、主権平等、民主主義、民族自決といった価値観ではなく、経済的利益を優先し、強者の不満を解消することが平和につながるという思想が表れている。ウクライナにおける現状での停戦、ガザにおける占領地からの住民の移住は、国際法に違反し、武力による現状変更を容認することであって、我々が考える公正な平和とは程遠い。
もっとも、戦争は終わらせなければならない。救うべき命を救うための「停戦」を支持する一方、住民への抑圧と武力による国境線の変更には、将来にわたって反対し、回復を求め続ける粘り強い姿勢が求められている。また、戦争犯罪についての責任も問い続けなければならない。
3 トランプ政権の安全保障政策
(1)国家目標・政治・軍事
安全保障政策は、達成すべき国家目標を掲げ、それを実現する政治的・軍事的道筋を示すものである。トランプ政権の国家目標は、自国利益の最大化である。そのため、
① 政治面においては、関係国との個別の「取引(ディール)」を通じて米国中心の国際秩序を再構築しようとしている。また、同盟国や中小国の国益をカードとして扱っている。こうした政治手法によって、「いざとなれば米国が助けてくれる」という米国への信頼が揺らいでいる。
敵対国に対しては、軍事的圧力を示してディールを強要している。例えばイランに対して、軍事的対応を示唆しつつ交渉している。だが、不調に終わった場合、いかなる軍事行動に踏み切るのか不明である。とはいえ、かつてのイラクのように武力による体制転換を考えているわけではない。
② 軍事面においては、ロシアの脅威には欧州諸国に主たる責任を負わせ、ウクライナへの「安全の保証」を拒否している。一方、中国については、「米国に対する最大の脅威」と位置付け、日米同盟による抑止力強化を目指し、米軍と自衛隊との共同訓練を活発化し、日本での艦艇修理を拡大するなど、日本を「最前線」にする動きを進めている。
米国が中国を凌駕する軍事力を持ち続け、中国の台湾侵攻を抑止したいという意欲を持っているのは明らかだ。だが、「世界の警察官」をやめた米国が、その軍事力を実際にどう使うかは、不明である。
(2)東アジア戦略
① 台湾有事への戦略
台湾について、米国が中国といかなるディールを目指すのか、それが破綻した場合、本格的な戦争を辞さないのか、台湾への武器供給にとどめるのか、あるいは何もしないのか不明である。それは、かつて「あいまい戦略」と呼ばれ、中国を抑止しつつ台湾の独立勢力をけん制する意図を持った現状維持を求める米国の戦略であった。
今や、トランプ氏の意図そのものが「あいまい」である。自国利益の最大化という目標に照らせば、中国との本格的戦争という選択肢はない。トランプ氏自身は、「習近平氏とのディールによる戦争回避」に自信を示し、また、台湾への軍事介入について明言を避けるなど、バイデン政権とは際立った相違を見せている。
一方、米軍部は、中国の台湾侵攻を想定した様々な演習を行い、それが抑止力になると考えている。だが、抑止が破綻したときトランプ氏が中国との戦争を覚悟するのか、依然としてあいまいである。米中双方が非妥協的な態度をとり続けるなら、意図しない武力衝突や軍事的緊張の高まりなどの“危機”の可能性が高まる。そのとき、政治的ディールが成功する保証はない。その意味で、東アジアは極めて不安定な過渡期にある。
② 朝鮮半島への影響
トランプ氏は、金正恩総書記とのディールに意欲を示している。彼は、北朝鮮の核保有を容認したうえで平和条約を締結しようとするかもしれない。それは、ロシアと中国を巻き込んだ核の均衡をベースに、地域を「安定」させることになる可能性もある。日本にとっては、在日米軍を攻撃対象とする「北朝鮮の脅威」は大きく低減し、日朝国交回復の道も開かれるだろう。
他方、核不拡散体制の正当性を弱めるという問題もはらんでおり、同時に、分断の激しい韓国世論が一致して歓迎するとは限らず韓国政治への影響も不透明である。
また、トランプ氏の持論である在韓米軍の撤退への不安や、北朝鮮に対抗して日韓両国で独自の核保有や米国との核共有を求める意見が高まることも予想される。
大切なことは、北朝鮮の存続を容認し南北の和平を成立させることであって、将来にわたる東アジア地域での核の均衡を維持することではない。
日本には、政権交代期を迎える韓国との間で、地域の安定と平和に向けた共通理解を推進する未来志向の対話が求められている。
第2部 日本への影響と求められる対応
1 抑止偏重の危うさと安心供与の重要性
日本は、安倍政権以来、中国の脅威を念頭に置いた防衛力増強とともに、集団的自衛権の容認などを通じた日米の軍事的一体化を進めてきた。岸田政権は、敵基地攻撃能力の保有と防衛費をGDPの2%に倍増する方針を閣議決定し、日米比の防衛協力によって南シナ海有事にも関与する姿勢を示した。米軍と自衛隊は、昨年の日米共同統合指揮所演習「キーン・エッジ」で台湾有事を想定した共同作戦を演練した。
石破政権の下でも、昨年秋の日米共同統合実動演習「キーン・ソード」で南西諸島への展開や離島奪還作戦の検証を行った。本年2月には、海上自衛隊の艦艇が日本単独で台湾海峡を通航し、3月には、日米の指揮統制の連携強化を目指す自衛隊統合作戦司令部が開設されるなど、台湾有事をにらんだ日米の軍事的一体化を強める動きが続いている。
台湾有事が日本に波及するのは、単に地理的に近接しているからではない。米国が参戦を決意し、日本の基地からの出撃や自衛隊の支援を日本政府が承認することによって日本が戦争当事者となるからである。それは、政治の決断にかかっている。
本年2月の日米首脳による共同声明では、米側から日本防衛へのコミットメントと、台湾・南シナ海を念頭に置いた日米の連携強化が再確認されている。だが、先に述べた通り、中国との戦争に関するトランプ氏の政治的意図は、あいまいであり、むしろ否定的にすら見える。
仮に日本が戦争を覚悟しても、米軍が動くとは限らない。米国が参戦すれば、最低でも沖縄や日本本土の軍事施設がミサイルの標的となる。あるいは、米軍は直接参戦しないまでも日本に台湾への武器輸送などの支援を求める可能性もある。
トランプ氏の下で、日米安全保障条約の一丁目一番地である「有事の際の米国による日本防衛」がなされる保証も揺らいでいる。
抑止とは、反撃の“確からしさ”であり、誤算の可能性を含んでいる。それゆえ、相手との対話を通じて政治的レッド・ラインを相互に認識し、それを超えないことを明示する努力(安心供与)が必要となる。米国の政治的意図が不透明化する時代に、米国の“決意”を前提とした抑止に固執する発想の硬直性は、危うい。日米両政府は、節度を持った抑止行動とともに、中国との対話を強化しなければならない。戦争の回避こそ政治の最大の使命なのだから。
2 同盟への姿勢と日本が守るべきもの
トランプ氏は、「日米同盟の片務性」と「日本がカネを出さない」ことに不満を述べている。彼の確信は、米国が同盟国を守るというこれまでの “同盟モデル”が米国にとって損であるという点にある。だから、日本が防衛費をGDPの3%にしても(そのためには、毎年18兆円の防衛費が必要)、在日米軍駐留経費負担でどれだけ譲歩しても、満足することはない。
日本はこれまで、米軍の駐留を安全保障政策の中核としつつ、自らの防衛力を強化し、「シーレーン防衛」「世界規模の対テロ戦争支援」「米軍と一体化した対中国抑止」など、米国の戦略変化に合わせて政策の重点を変化させてきた。日本から見れば、米国の戦略に対して日本が全面的に協力することで、米国による日本防衛が保証されると考えられてきた。それを米側から見れば、日本防衛へのコミットメントを約束することが、米国の要求を日本に飲ませる「切り札」になってきたのである。
それゆえ、日本の姿勢も変化を求められる。当面の課題として、米国の要請に応じて防衛政策を“進化”させるのではなく、日本からの新たな問題提起が求められる。
日米同盟は、片務的ではない。日本は、米国に基地(モノ)を提供し、その基地を防衛し、その費用(カネ)を負担し、自衛隊(ヒト)を海外に派遣して米国に貢献している。今や、日本が“負い目“を感じる必要は、全くない。加えて、米国本土が戦場にならなくとも、日本が戦場となるリスクまで背負っている。
今求められているのは、アジア版NATO、米国への自衛隊駐留といった小手先の技術論ではない。同盟は目的ではなく、国益達成の手段である。今後の日米安保体制の在り方を論じるのであれば、「平和国家日本」のアイデンティティを守るという原点に立った議論が必要である。
数十年後の世界はわからない。だが、米軍が次の世紀まで日本に居続けることも想像しがたい。長い時間軸で考えれば、目先の問題解決のために国のあり方を変えてはならないのである。
3 あるべき日米関係への変革に向けた胆力を
(1)地位協定改定のチャンス
石破首相は日米地位協定の改定を持論としてきた。
在日米軍駐留経費の日本側負担は、特別協定による基地従業員の給与や光熱費、訓練経費に加え、予算措置による米軍施設整備と日米沖縄特別委員会(SACO)などの経費を加えてすでに年間8000億円を超えている。
地位協定は、「維持経費は米側負担」と定めている。日本による経費負担は、1978年、円高ドル安の中で米軍関係者を支援する“思いやり”で始まった。その背景にあった貨幣価値の差は今や逆転している。地位協定の“特例”が50年近く継続しているのは異常である。
そもそも、米側は地位協定3条で基地における特権的な排他的管理権を認められている。それが故に、施設維持経費は米側負担とされているにもかかわらず、その経費の大半は日本負担という例外が常態化するのであれば、もともとの3条の特権的地位が見直されなければならない。
現在の特別協定は来年度で終了する。米国が駐留経費負担の継続・増額を求めてくるなら、それを地位協定における米軍の特権的地位の見直しを議論するチャンスにすることもできる。
(2)日米関係への変革に向けた胆力を
日本から地位協定の改定を求めると、トランプ氏は、「それなら米軍を引き上げる」と言うかもしれない。あるいは、トランプ政権が現在求めているGDP比3%への防衛費増大や米軍駐留経費の増額を日本が躊躇した場合にも同様なことが起きるかもしれない。
だが、日本の基地は、米軍が太平洋の広大な距離を克服するために不可欠な存在であり、米国の世界戦略にとって重要な資産である。それゆえ日本は、「それを手放したいならどうぞ。」と、自信をもって切り返してよい。積年の課題である地位協定改定、また、真の「国益」のために必要なものは政治の「胆力」である。
4 新たな公共財の担い手を求めて
トランプ政権が、米国国際開発局(USAID)を事実上閉鎖し、国連や国際保健機関(WHO)などへの資金拠出を含む国際支援を切り捨てようとしている。約10兆円に相当する米国の支援が止まることは、「人間の安全保障」にとって大きな痛手である。
「国際公共財」という言葉は、米軍のプレゼンスや自衛隊の海外活動を説明するために使われてきた。だが、飢餓・感染症・難民といった人道的危機に対処する組織や活動こそ、国際公共財の名にふさわしい。世界は、新たな国際公共財の担い手を求めている。
極東の島国である日本が「世界の警察官」の役割を肩代わりすることは不可能である。だが、アジア太平洋経済協力(APEC)、環太平洋パートナーシップ協定(CPTPP)などの多国間枠組みは健在である。欧州連合(EU)や東南アジア諸国連合(ASEAN)に加え、グローバル・サウスの国々は、同じ問題意識を持っている。日本は、これらの国々とともに、国連等の国際機関への拠出のルールなど、新たな合意作りと人材育成に乗り出す必要がある。同時に、戦争や気候変動など人道危機の根本的原因をなくす活動の重要性も一層高まっている。
5 米中対立と外交のチャンス
トランプ関税に関する交渉が進行中である。何もしないわけにはいかないが、個別のディールによって不安を解消しようとするのは、トランプ氏の“術中にはまる”。安易な妥協を急いではならない。自分だけ例外にする姿勢ではなく、国際ルールに則った貿易・経済関係を求める国際世論を喚起し、多くの国との国際協調の下での解決を求めていかなければならない。「トランプ氏の逆鱗に触れる」リスクはあるが、それが米国の利益であると主張することは、やがては日本の交渉力を高めることになる。日本の交渉力は、米国に追従することではなく、まっとうな国際世論を背景にしてこそ発揮される。
対中外交でも同じことが言える。中国は、米国に対抗し、自由貿易を旗印に自国の政治的立場を強めようとしている。だが、中国の投資や貿易に関する姿勢も、技術開示の強要や「債務の罠」に見られるように、決して公正なものではない。中国が対米関係に苦慮しているいまこそ、日本にとっては中国との対話を深めるチャンスである。また、米中に依存し、米中対立に大きく影響されるアジア諸国とともに、公正な地域経済について議論する場を作っていくチャンスでもある。
米中戦争を望んでいる国は、アジアはもとより世界のどこにもない。韓国やASEAN諸国、さらにカナダ、オーストラリアなど共通の価値観を持った国々と共同して、米中対立や米中のディールが周辺諸国の利益を害さないよう求めていくことが必要である。米中戦争に巻き込まれる諸国の世論が結集されれば、戦争を回避する大きな政治的力になる。同盟による抑止というシステムが「制度疲労」を起こしているいま、新たな外交の可能性に本気で取り組むチャンスである。
執筆者
栁澤 協二 ND評議員/元内閣官房副長官補
マイク・モチヅキ ND評議員/ジョージ・ワシントン大学准教授
半田 滋 防衛ジャーナリスト/元東京新聞論説兼編集委員
佐道 明広 中京大学国際学部教授
猿田 佐世 ND代表/弁護士(日本・米ニューヨーク州)