研究・報告

パンデミック後の世界 国家の復権という皮肉 (藤原帰一)

パンデミック後の世界はどのようなものになるのだろうか。その特徴を一口にいえば、グローバリズムの後退ではないかと私は考える。国境を越えた経済のグローバル化が反転し、世界経済が危機を迎えるなか、グローバル経済が支えてきた世界秩序が弱体化する。以前から緩やかに起こっていたこのような変化を劇的に進める、いわば引き金としての役割をパンデミックが果たすという構図である。

最大のポイントは、グローバル経済の後退だろう。新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため、人の動きを最小限に抑える施策が世界各国で行われている。人が家の外に出ないのだから通常の社会活動も経済活動もごく限られた形でしか行うことはできなくなった。工場の操業停止も商店の閉店も避けられない。緊急事態のための時限的な措置とはいえ、世界各地を結びつけた生産と消費に与える影響は大きい。

イギリスの欧州連合(EU)離脱や米トランプ政権の下における貿易協定の見直しなどに見られるように、グローバル化への反発や対抗は先進工業国において既に高まっていた。それでも、海外工場の全面的閉鎖を求め、あるいは自国の市場を世界市場から遮断するなどといった極端な提案はごく例外的なものだ。ポピュリズムのもとにおけるグローバリズムの見直しを凌駕(りょうが)するグローバル経済の後退が、パンデミックによって現実となった。

世界経済はパンデミック以前から金融緩和と財政支出によって好景気を支えるという危うい状況となっていたが、今回のウイルス危機はその危うい経済を全面的な危機に追いやることになるだろう。主要都市がロックダウンされ、人々が家から出ることができなくなれば、数々の企業が破綻(はたん)し、失業が広がることは避けられない。ウイルス感染の拡大が仮に抑え込まれたとしても、グローバリズムを支えてきた長期的な経済拡大を期待することは難しい。

ロックダウンによる失業に加えて就労形態の変化による雇用喪失にも目を向けなければならない。ロックダウンに伴って拡大したオンラインでの労働はウイルス危機が収束した後も保持されるだろう。人工知能などを柱としたいわゆる第4次産業革命が展開すれば失業が増大する可能性はこれまでにも指摘されてきたが、ウイルス危機がその可能性を現実のものとしてしまう。パンデミックが、技術革新による余剰労働の拡大を促進するのである。

危機に対応する主体は、何よりも各国政府である。人の移動を規制すれば、企業経営が危うくなり、失業が急増することは避けられない。休業補償や失業手当の給付を国連やEUに頼ることが期待できない以上、ウイルス感染拡大を防止するための措置も、その措置が生み出す経営危機や失業を始めとした社会課題への対応も、各国政府が取り組むほかはない。

パンデミックを前にした国際機構は非力だった。感染症拡大の防止は世界保健機関(WHO)の主要な目的のひとつであるが、中国において新型コロナウイルス感染が確認された後もWHOの警告は極度に遅れた。EUについても、感染がヨーロッパに広がり、イタリアやスペインで毎日何百もの死者が生まれるという危機を前にしながら、EUが果たした貢献は、みじめなほど小さかった。

ここにはグローバル経済が後退し、経済危機が広がるなかで、国家の役割が拡大する過程を見ることができる。国際協力や国際機構への期待がこれまでよりもさらに弱まる一方、国家の働きへの期待は高まり、これまでにない権力が国家に委ねられる。緊急事態が収束した後も、経済危機が続き、休業補償や失業手当など社会給付の必要がある限り、国家の役割は保たれるだろう。

グローバリズムが国家よりも市場を重視する政策と結びついていただけに、グローバリズムの後退は社会経済における国家の復権を伴うことは避けられない。経済的逼迫(ひっぱく)に対して社会給付を行うのは当然の施策であるが、グローバリズムには国境を越えた世界秩序の構築も含まれることを忘れてはならない。もし国家の復権が、世界秩序から国民国家体系への転換、すなわち大国が国益のみを追求して競合する世界への転換を伴うものであるとすれば、国際的緊張の拡大は避けることができない。

既に中国の台頭と米中関係の緊張、あるいはクリミア併合後のロシアと欧米諸国との緊張によって世界秩序の安定は大きく損なわれてしまった。パンデミックという国境を越えた脅威によって、国家の復権と各国の権力闘争が展開するなら、残酷な皮肉というほかはない。(国際政治学者)

こちらの記事は、2020年4月15日に「朝日新聞デジタル」に掲載されています。

藤原帰一

東京大学大学院法学政治学研究科教授。1956年東京生まれ。専門は国際政治、比較政治、東南アジア現代政治。東京大学大学院博士課程を修了し、フルブライト奨学生としてイェール大学博士課程に留学。千葉大学助教授、東京大学社会科学研究所助教授を経て、1999年から現職。日本比較政治学会元会長。