“国際弁護士”猿田佐世 トランプ大統領になっても日米が何も変わらない理由

【“国際弁護士”猿田佐世 トランプ大統領になっても日米が何も変わらない理由】
(Aera.dot 5/26)

猿田佐世ND事務局長

昨年の今ごろ、私はメディア取材や講演の場で「トランプ氏が大統領に当選したら日米外交はどうなると思いますか」との質問を受け続けていた。

トランプ氏は、大統領選挙期間中、「駐留経費を日本が全額支払わなければ、在日米軍撤退」「日米同盟は日本の負担が少なく不平等」という発言を繰り返していた。日本の左派・リベラル派の中には、トランプ氏になれば、沖縄・辺野古の基地建設を含めた在日米軍の存在に何か変化があるのではないかといった期待を持った人も少なくなかった。

もっとも、私はその質問に対し、「残念ながら、トランプ氏が大統領となっても日米外交は大きくは変わらないだろう」と答えていた。

その一番の理由は、日米におけるこれまでの外交担当者などがそのような変化を許さないだろう、というものであった。彼らの抵抗が極めて強いであろう中、トランプ氏の多くの公約のうち対日外交は優先順位が高いものではないために、従来通りの日米関係がトランプ政権以後も続くであろうと私は予想していた。

「ヒラリー・クリントン大統領では何も変わらない」「トランプ氏の変化の可能性にかけたい」と言う沖縄の人々などの気持ちも痛いほど感じていた。

その後1年経ち、現状はどうか。

昨年11月、トランプ氏が大統領に当選したが、日本政府はトランプ氏を既存の日米関係へと引き戻すべくトランプ氏への働きかけを行った。「なりふり構わず」とも評されたその働きかけは、私の予想を上回るものであった。当選直後のトランプタワーでの面談もしかり、日米同盟は「不変の原則」と謳った国会での施政方針演説しかりである。

日本政府にしてみれば、全ての政策の中心に米国を据えてきたため、既存の日米関係が変わってしまっては困るのである。世界中が非難するイスラム諸国からの入国拒否の大統領令についてすら、日本政府は内政問題としてコメントを差し控え、トランプ氏に配慮した。

結果、2月10日に行われた初の日米首脳会談では、それまでのトランプ氏の様々な主張は封印され、日米共同声明には、日米同盟はアジア太平洋地域における平和の礎、辺野古基地建設は普天間閉鎖の唯一の解決策……といった言葉が並んだ。トランプ氏の口からは、「米軍を受け入れてくれて感謝」という言葉まで飛び出したのである。

トランプ政権以後も、特に安全保障分野においては、これまでの日米関係が続くことがほぼ確実になった。

その後、北朝鮮のミサイル発射などを経て、日本は、安保法制の下、初めて自衛隊の米艦防護を実施するなど、日本がトランプ政権の「力の外交」を下支えする構造が具体的に見え始めている。

安全保障面で日本の負担増を期待するアメリカの思惑と、軍事力重視の安倍政権の思惑が合致して、この「力の外交」を重視する風潮はこれからも加速していくものと考えられる。

しかし、これは、多くの人々の望んでいる外交なのだろうか。

4月に北朝鮮の挑発に対しアメリカが空母を送り、武力で対応すると耳にしたときに、「ひょっとすると、自分自身が影響を受ける事態になるかもしれない」と背筋に冷たいものが走った人も少なくないだろう。私はこれまで北朝鮮のミサイル発射を受けてもそのような具体的感触をもつことはなかったが、今回初めて、そのような感覚を覚えた。

ふとしたことをきっかけに、あっという間に軍事的行動がエスカレートしうることは、過去の多くの例が教えてくれている。

このような軍事的な対応を望まない人々も日本には多いはずである。

これまで私は沖縄の基地問題を中心に、現在の外交に届いていない声を日米外交の場に届けたいと、ワシントンでアメリカ政府や議会への直接の働きかけを行ってきた。アメリカの議員に会って沖縄の人たちの声を伝えたり、沖縄の方々のワシントンでのロビイング活動を企画したり、といった活動を続けてきている。

ワシントンを視点の中心におきながら、日米外交を観察してきて痛感することがある。

それは、日米外交はあまりに長いこと、極めて限られた人たちの手によってのみ動かされてきたということである。日米外交の議論における「日本の声」のトーンは一色であり、そこには、日本に存在する多様な声が全く反映されていない。

ワシントンに出入りする日本の顔は常に同じ顔ぶれで、受け入れるアメリカ側の顔ぶれにも変化はない。ワシントンで開催される会議でも、シンポジウムでも、また公に発表される様々な声明でも、ごく一部の例外を除き、新しい意見が含まれていたためしがない。

例えば、わかりやすく言えば、「安保法制反対」「辺野古の基地建設は見直すべき」「原発再稼働反対」「憲法9条改正反対」といった声は、日米外交の現場で真剣に取り扱われることは、まずないのである。日本で世論調査を行えば、これらの声が多数派となることも少なくないにもかかわらず。

「安全保障や外交は専門的な分野であるから専門家でなければ判断できない」と政府関係者や研究者から指摘されることもある。

しかし、外交が取り扱う事項は米軍基地、原発、憲法、といったテーマからも分かるように、日本の「国のかたち」を大きく左右するものが多い。そこに一般の国民の参加が認められないようでは民主主義国家とはいいがたい。

「外交に民主主義を」――。

これは私が外交にかかわってきた信条である。それを実現するために各国各層の人々との外交チャンネルを、特にアメリカと日本との外交チャンネルを広げるべく活動を行ってきた。トランプ氏の強硬な政策の数々には全く賛成できないが、トランプ氏当選直後の日本政府の必死の働きかけや、その後に起きた現象をみて、改めて外交の多様化の必要性を実感している。(弁護士・猿田佐世)