【翁長さんが遺した「オール沖縄」の精神
「沖縄のアイデンティティー」に向き合える知事選を望む】(WEB RONZA 9/6)
新外交イニシアティブ代表 猿田佐世
沖縄県知事の翁長雄志氏が、8月8日、逝去した。自民党沖縄県連幹事長まで務めた立場ながら、辺野古基地建設反対を訴えて知事に当選し、沖縄の人々の先頭に立って新基地反対を訴え続けた。
多くの沖縄の人々が、翁長氏の死に強い衝撃を受け、「沖縄にとって翁長さんがいかに偉大な存在だったか、失って改めて感じている」「歴史に残る知事だった」と語っている。
翁長氏が遺したものは何か。
「オール沖縄」の精神
「沖縄アイデンティティーで沖縄はまとまることができる」
一言で言えば、この「オール沖縄の精神」に尽きるだろう。
翁長氏は「イデオロギーでなくアイデンティティー」のフレーズを掲げて保守・革新を超えた沖縄の人々の連帯を訴え、幅広い立場の人々による「オール沖縄」をまとめ上げた。
あるウチナー(沖縄人)の友人は、翁長氏が沖縄の人々にとってここまで大きな存在であるのは、翁長氏が辺野古基地建設に反対だったからだけではなく、沖縄人とは何か、沖縄のアイデンティティーとは何かを思い起こさせてくれたからであり、沖縄の人々が一体となる機会を作り出してくれたからだ、と語る。
「沖縄の基地問題は、本土からの差別である」と広く認識されるようになったのも、翁長県政の時代であった。翁長氏は、沖縄差別を決して許さず、これに毅然と立ち向かった。
2015年5月の辺野古基地建設反対の沖縄県民大会。参加した翁長知事はその演説を次の言葉で締めくくっている。
「ウチナーンチュ、ウシェーティナイビランドー(沖縄の人をなめてはいけない)」
翁長さんは、生前「ウチナーンチュが心を一つにして闘う時には、おまえが想像するよりもはるかに大きな力になる」と息子に語っていたとのことである。
「オール沖縄」の微妙な舵取り
左から右まで広がる価値観の沖縄を、一つにまとめてきたのが翁長氏であり、それは子供の頃からの翁長氏の長年の夢でもあった。
自民党出身者から共産党までの様々な価値観の人々をまとめるために、日本本土の基地推進派のみならず、沖縄内外の新基地反対派からも常に批判にさらされており、その舵取りは本当に容易ではなかったと思う。
辺野古基地建設に強く反対していたことから、日本本土では翁長氏をリベラルの騎手と見る人も多い。しかし、翁長氏は、最後までれっきとした保守政治家であり、そのように自分を画し続けた。
私は本土出身者であるが、この間、日米外交の観点から沖縄の基地問題に深く関わってきた。名護市長など沖縄の政治家や市民団体の方を米国の首都ワシントンにご案内し、米政府・米議会との交渉の場を作るなどしてきた。
翁長氏とも、「米国への訴え方」という観点から時に意見交換する機会があった。知事選の前に沖縄県ワシントン事務所の設立を提案したところ、氏は県事務所設立を知事選の公約に入れてくれた。そして、当選後、翁長氏は、実際にワシントン事務所を設立した。その後も、氏は何度もワシントンに通って辺野古基地建設反対をアメリカで訴えた。
私が沖縄の対米外交についてあれやこれやと意見をするのを聞きながら、翁長さんから、「猿田さん、私たち保守の政治家はそういう風には動かないんだよ」と言われたことは、今も強い印象として残っている。
これを聞いた当時の私は、「既に日本政府には十分に抵抗勢力と見られているのだから、保守のやり方とか革新のやり方とか、こだわらなくても良いのではないか」という気持ちを抱いたものである。
しかし、右から左まで幅広い価値観の人々をまとめながら、保守政権である自民党政権に対抗していかなければならない立場にあったのが翁長氏である。そこには確固たる翁長氏自身のやり方があり、今思えば、それが故に「オール沖縄」として沖縄はまとまっていたのだと思う。
翁長氏が強調した沖縄の「自己決定権」
2015年9月、国連人権理事会で演説をした翁長氏が「自己決定権」という言葉を使って話題になった。「自己決定権」とは、「自らのことを自らで決めることができる権利」である。
すなわち、翁長氏の演説は、「沖縄の人々は、自分たちの政治的運命を自分たちで決めることが許されねばならない。」との叫びであった。
実際に、翁長氏は「オール沖縄」のアイデンティティーで沖縄をまとめあげた。2014年~2016年は、名護市長選挙、沖縄知事選、衆議院議員選挙、参議院議員選挙など沖縄における辺野古基地建設に関連する選挙で、辺野古基地反対陣営は勝利を収め続けた。日本全国で自民党が大勝し、国会において3分の2近くの議席を確保した選挙でも、沖縄では自民党が一勝もできない、という状態であった。
「あらゆる手段を使って辺野古に基地を作らせない」と繰り返していた翁長知事は、「知事の任期である4年の間に安倍政権が倒れることを予想していた」のではないかと評されたりもする。
私の属する新外交イニシアティブ(ND)では、これまで幾度も沖縄の人々とともに、辺野古基地建設に問題を提起するイベントを沖縄で開催してきたが、「今、本土の人たちに何をしてほしいか」と沖縄の人々に問うと、時に、「沖縄に来るのではなく、本土で辺野古基地建設に反対する国会議員を増やしてほしい」という答えが返ってきた。
それだけ、「沖縄でやれることは全てやった。」という状況であった。
本土の私たちと沖縄
沖縄の世論調査では辺野古基地建設反対は6~7割を超えるが、本土の少なくない世論調査でも辺野古基地建設には反対が過半数という結果になっている。
しかし、本土の私たちは、その意思を具体化すべく十分な努力をしてきただろうか。
「アイデンティティーでまとまらなければならない」という事態を招いているのは、その「アイデンティティー」をもつ集団の外に、その「アイデンティティー」を壊し、その集団を脅かす存在があるからだ。
それが本土出身者である私たち一人一人であることを、本土の私たちはもっと自覚せねばならない。
よく政府関係者や政権与党の政治家が、「沖縄のことを自分自身のこととして真剣に考えなければならない」と言う。その上で、自分がいろいろと沖縄のために尽くしてきたんだということを説明し、辺野古基地建設しか選択肢はないんだと、最後は残念そうに説明する。
テレビの対談などで何度かそういう場面に接してきたが、そのたびに、辟易した気持ちになる。
そこまで沖縄を理解しているのであれば、なぜ辺野古案撤回を言えないのだろうか。
NDでは、軍事的な視点も踏まえながら「辺野古に基地を作らなくても、抑止力に問題は生じない」という報告書をまとめ、日米両国のポリシーメーカーを含む多くの人々に届け、議論をしてきた。
ここでは詳述しないが、その議論から得た実感は、「(普天間基地の移設先は)沖縄でなければならない」と思えばそのための理屈がいくらでも出てくるし、「沖縄でなくてよい」と判断すれば、その理由付けも限りなく出てくる、ということである。
すなわち、政府の言うところの「辺野古が(普天間移設の)唯一の選択肢」というのは政治的決断ありきのものにすぎない。
争点外しは止め、沖縄のアイデンティティ-に素直に向かい合える知事選に
辺野古基地建設に反対する「オール沖縄」陣営は、この間、本年2月の名護市長選で敗北し、その後の県内のいくつかの市長選挙でも負けている。
9月30日の知事選挙は、沖縄が、「沖縄のアイデンティティー」を今後も外部に向けて発信し続けられるか、という極めて重要な選挙である。
「沖縄には基地賛成派もいるじゃないか」という人もいるだろう。でもその人たちは、本当の意味で基地「賛成」派だろうか。「どうせ国には逆らえない。」「日本の安全保障を沖縄が背負わなければならないので仕方がない。」「同じ作られてしまうなら経済振興を」といった理由での「条件付き容認派」はもちろんいるが、積極的に「辺野古に基地を作りたい」と思っている「積極的賛成派」を沖縄で探すのはなかなか容易ではないだろう。
どれだけ長いこと座り込みを継続し、どれだけたくさんの人が県民大会に集まっても、どれだけ選挙で民意を示しても、基地建設は強行されていく。無力感をさらに醸成すべく政権側は工事を強行し続けてきた。その結果が現在の状況である。
基地を沖縄に押しつけている加害者たる私たち本土出身者が、ここまで沖縄の人々を追い込み続けて良いのか。
政権与党は、1月の名護市長選でもあらゆる手を駆使して辺野古基地反対の現職市長を敗北に追い込んだ。本土から小泉進次郎氏など有名な政治家を次々送り込み、大量の資金をつぎ込んだ。応援演説に入った政権与党側の政治家は辺野古について語ってはならないとされたとも聞く。常套手段の争点外しである。基地建設予定地を抱える名護市の選挙で、基地建設について問わない選挙などあってはならない。ましてや、争点外しの結果の選挙で、「辺野古基地建設賛成派が勝った」と言うのは言語道断である。
今回の沖縄県知事選挙は、2月の名護市長選挙以上に争点外しが行われるだろう。しかし、それは、「沖縄のためを思っている」というにはあまりに姑息ではないか。
既に、自民党推薦の候補者は、いくつもの立候補予定者討論会に参加しない方針を固めている。
堂々と辺野古基地建設についての是非を争点にせよ、と強く訴えたい。
「沖縄人はそのアイデンティティーを掲げて、声を上げて良いのだ」ということを保守の側から明確にした翁長さんの遺産は大きい。
沖縄の方々が、沖縄人のアイデンティティーとはなにか、本当にあるべき沖縄とはどのようなものか、そういったことをゆっくりと考え、辺野古基地建設に賛成か反対かということをも大きな指標として一票を投じられる県知事選となることを望んでいる。