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【論壇 柳澤協二 本土は何を考え、なすべきか 沖縄からの基地撤去、共有を】(琉球新報 3/19)
私は、本土の人間として、沖縄とどう向き合うのかを考え続けている。辺野古埋め立てに関する県民投票の結果は、新基地に反対する圧倒的な県民の意思を示した。これを受けて、本土の人間も沖縄の負担について考えるべきだという論調がある。だが、何を考え、どう振る舞えばいいのか。
辺野古に基地を造らなければ普天間が固定化するという心配をする人もいる。普天間基地は一刻も早くなくしたい。同時に、辺野古に新基地を造ってほしくない、というのが県民の共通した思いだ。
では、普天間基地を本土で引き取ってほしいのかと言えば、それも違う。自分の所にあってほしくないから本土に持って行けというのが沖縄の思いであるはずがない。基地に脅かされ、基地に翻弄される暮らしはしたくないということだろう。
それなら、本土の人間が考えるべきことは、どこか本土で引き取るということではなく、沖縄から基地をなくせという思いを共有することだ。沖縄に要らない基地は本土にも要らない、本土に置けない基地は沖縄にも置けないということに軸を置いて考えることだ。
それで日本の防衛は大丈夫か、という心配はある。しかし万一、外国から攻撃されることがあれば、沖縄だろうと北海道だろうと、日本が一丸となって守るのは当たり前のことだ。
それは、日本自身の問題であって、米軍に任せることではない。まして今は、ミサイルの戦争だ。地理に関わりなく、軍事的に重要な場所が攻撃対象になる。沖縄が防波堤となって本土が守られるような幻想を持ってはいけない。
だから、そこに米海兵隊がいることは、防衛上、何ら重要ではない。まして、日本を取り巻く戦争の危険は、日本自身がもとになっているわけではなく、米中あるいは米朝の対立関係におおもとがある。米軍の駐留は、何もなければ抑止力かもしれないが、何かあればかえって火種になりかねない。軍隊の存在とは、本来そういうものだ。
そもそも防衛とは、何を守るのか。国民の平穏な暮らし、そして、まっとうな民意が尊重される国を守ることではないのか。防衛のためと称して国民の日常を破壊し、民意を無視するならば、それはもはや国民のための防衛ではない。沖縄も本土も、そういう政治を何とかしなければならないという共通の課題を背負っている。
新外交イニシアティブ(ND)は19日午後7時から沖縄市民小劇場あしびなーでシンポジウム「沖縄の未来を拓く―安全保障・経済・社会の観点から」を開く。
(東京都、元内閣官房副長官補、ND評議員、72歳)
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