軍事のみで安全は図れず 進まない住民の保護・避難の議論 [ND新提言 抑止一辺倒を越えて](中)

安全保障戦略なき防衛論議は危険である。現在の防衛論議は戦力バランスや軍事技術の話に偏り過ぎており、国家・国民の生命がどのように守られるのかという肝心の問題が置き去りにされていないだろうか。

国民というのを、具体的に沖縄県民を中心に考えると、以下のような課題が浮かんでくる。まず自衛隊基地(駐屯地)と米軍の関係である。米中対立と台湾有事という問題を考えると、沖縄が対立の最前線になることは明らかである。

もし軍事衝突が起きた場合、攻撃対象は米軍基地だけではなく自衛隊も対象となる。自衛隊は後方支援中心で戦闘に加わらないという議論は成立しない。ガイドラインでも日米施設の共同使用がうたわれており、有事となれば日米共同の運用が行われるはずである。

そして現在、宮古・八重山地域で地元住民を巻き込んだ形で自衛隊施設建設が進められている。先鞭(せんべん)をつけた与那国では、当時のケビン・メア在沖米総領事が、祖納港や空港の利用可能性を前提に「台湾に最も近い日本の前線領土として対機雷作戦の拠点になり得る」という電報を発していたことが報じられている。

米中軍事対立を念頭に、自衛隊施設配備は着実に進められており、対立最前線としての沖縄で、準備が進められている現実を県民はどれほど認識しているのだろうか。

そして自衛隊配備の進展や、頻繁になってきた「離島防衛」訓練の一方で、住民の保護・避難といった議論が進められていないのは極めて問題である。国土で戦闘が起きたとき、どれほど悲惨な状況になるのか沖縄県民は一番よくわかっているはずである。抑止が破綻した場合には、軍事衝突が起きる可能性が生じる。

不十分な国民保護制度の下で、軍事の議論だけを独り歩きさせるのではなく、いかに衝突が起きないようにするのか、不幸にも起きた場合はどうやって最小限にとどめるのか。それは総合的な外交・安全保障戦略として立案すべきものである。軍事の重要性は否定しないが、軍事のみで国民の安全は図れないということを再認識すべきである。

(中京大教授、日本政治外交史)

佐道明広(さどう・あきひろ)

中京大学国際学部教授。学習院大学法学部卒業、東京都立大学大学院博士課程単位取得退学。博士(政治学)。都市出版編集部「外交フォーラム」編集室勤務。都市出版常務取締役を経て1998年4月から政策研究大学院大学助教授、2004年、中京大学助教授、2005年より教授。2011年~12年マサチューセッツ工科大学国際関係研究所客員研究員。