研究・報告

日本は主権国家といえるのか? 米軍に「占領」されたヘリ墜落現場(屋良朝博)

ND評議員/元沖縄タイムス論説委員

沖縄県東村高江で起きた海兵隊CH53大型輸送ヘリの不時着、炎上事故から見えてきたのは主権のひ弱さだった。

周辺住民の不安をよそに同型機が住宅地上空を飛び、日本政府の自粛要請を米軍は無視した。沖縄県警は「航空危険行為処罰法」違反の疑いで現場検証を再三申し入れているが米軍は聞く耳を持たない。

気の毒なのは地主だ。迷彩色のテントに海兵隊員が待機し、時折、残骸の周りを見回っている。何の法的根拠があって個人財産を米軍が期間未定のまま占拠できるのか。なぜ警察は現場検証さえ許されないのか。沖縄県も放射能汚染の調査をさせてほしいと申し入れているが、米軍は一顧だにしない。地主には損害賠償が支払われるかもしれないが、その請求書は日米地位協定に従い日本の納税者に回される。

県警が捜査できない理由を外務省日米地位協定室に聞いてみた。日米地位協定に基づき設置されている日米合同委員会で合意した米軍機事故に対応するガイドランによるという。正式名称は「日本国内における合衆国軍の使用する施設・区域外での合衆国軍用航空機事故に関するガイドライン」。

2005年4月に日米合同委員会で合意した。きっかけは04年8月に起きた沖縄国際大学でのヘリ墜落・炎上事故。普天間飛行場のフェンスを飛び越えて大学構内に押し寄せた海兵隊員が現場を占拠し、日本政府関係者の立ち入りを一切拒絶した。その対応が行き過ぎだと批判を集め、事故現場の保全・管理、情報交換など日米双方の役割分担をガイドラインで取り決めた。

その結果が今回の高江の現場の軍事占領なので、ガイドラインはおそらく米軍に排他的な現場管理の根拠を与えたに過ぎないのだろう。合同委員会の構成は日本側が軍事に疎い官僚、米側は軍人たちなので、基本的に米側が同意しなければ何も決まらない仕組みだ。その中身は政治家にも知らされず、一切非公開の秘密会議で決められてしまった。

ガイドラインによると、消火、救出などの初期対応が終了した後、現場は事故機を囲う内周規制線、周辺立ち入りを規制する外周規制線が設置される。事故機は米側が保全し、内周の管理は日米共同で行うこととした。立ち入りや交通規制を実施する外周規制は地元警察が担当する。内周規制の中に入るためには日米双方の責任者が合意すると定められており、日本側の立ち入り要請を米側は一方的に拒否することが可能な立て付けになっている。まさに沖国大の事故で批判された現場の米軍占領をルール化したような格好だ。

ただ今回は防衛省が自衛隊の専門家を現場に派遣している。おそらく米軍機事故の対応では初めての試みで、外務省もガイドラインによって日米共同の調査が実現したと評価する。自衛官の現場調査が事故現場の安全確認にとどまるだけなら、衆院選挙を意識した政治パフォーマンスに過ぎないとの不信を招く。自衛隊の関与が実効性のあるものなのか注視したい。

現行の日米合意を駆使すれば日本側の事故機調査も可能なはずである。日米地位協定合意議事録(1960年1月19日)は航空機など米国所有財産の捜索、差し押さえ、検証は基地内外を問わず米側が行うこととしているが、米側が合意すれば日本も事故機などの捜索、差し押さえ、検証ができるとの規定がある。合意議事録、ガイドラインに明記された日本側の権利を行使するかどうかという単純な問題だ。

関西大学の高作正博教授(憲法学)は「ガイドラインは現場封鎖の役割分担を決めているが、警察による現場検証を拒む根拠とするのは誤っているのではないか」と指摘する。日米地位協定には、犯罪について日米は証拠の収集、提出について、相互に援助しなければならない」と規定され、「相互援助」が求められている。県警は「航空危険行為処罰法」違反の容疑で捜査を行う必要がある。高作教授は「事故機の管理権が米国側にあるにせよ、日米間の合意上は日本の警察権についての制限はないと 解され、県警による検証を妨げる権限は米軍にはないはずだ」と今回の米側の対応に疑問を投げかける。

おそらく欧州先進国は違った対応をとるだろう。米軍が駐留するイタリアは米軍機でも敢然と自国の警察権を行使する。

1998年2月にアルプス山脈の渓谷で海兵隊の戦闘機が低空飛行訓練中にスキー場のケーブルを切断し、20人が死亡した事故で、イタリア軍警察は戦闘機を証拠物件として差し押さえた。米側は「合衆国の所有財産である」として返還を求めたがイタリアは「証拠物件だ」と主張し譲らなかった。地元の地方検察官はパイロットを事故翌日に事情聴取、イタリア軍警察はコックピットも調べ、事故発生時の飛行映像記録をパイロットが消去した事実を突き止めた。

当時のイタリアのランベルト・ディーニ外務大臣は事故直後にマデレーン・オルブライト米国務長官に電話し、「あれは事故ではない。パイロットによる殺人事件だ。裁判権はイタリアが行使する」と激しく抗議した。そして外務省職員に自国で裁判するよう指示していたという。

検察は米軍機のパイロットを20人の殺人、証拠隠滅の容疑で起訴した。しかし北大西洋条約機構(NATO)地位協定により、裁判権は米側にあるされ裁判所は訴えを受理しなかった。イタリアは自国で裁くことはできなかったにしても主権国家として法治主義を貫いた。

イタリアも日本も同じ敗戦国だが、何が違うのだろうか。集団的自衛権を行使し、米軍とともに血を流して戦える対等な立場かどうかによる、と論じる専門家が多い。しかし安倍政権が従来の憲法解釈を曲げて集団的自衛権を行使できるよう閣議決定し、安保関連法制も整備したはずだが、米軍の態度は相変わらずで、日本政府の要求に耳を貸さない状態が続いている。

嘉手納飛行場でのパラシュート降下訓練、海外でのオスプレイ墜落事故後に飛行自粛を求める日本側の申し入れを米軍はことごとく無視している。そんな状況をみると、集団的自衛権といった同盟の中身と基地運用は別次元の問題だろうと考える。一般的に自衛隊はイタリア軍よりも戦闘能力は上だと評価されるので軍事力の問題でもない。おそらく両国の違いは外国軍基地を自国の管理下に置くという主権意識ではなかろうか。

理論的には統治の全能である主権が先にあって国家が出現するといわれる。戦後日本は占領終了と同時に日米安保に組み込まれてしまったため、主権の一部が欠けた状態で戦後の歩みが始まった。それはよく指摘される日本人の依存的な性格にぴったり合致したのかもしれない。

外国軍を受け入れるときに締結する地位協定は主権のぶつかり合いだ。日本のように領土・領空・領海の一部を排他的に外国軍へ提供する状態は占領下と紙一重だが、東京の上空にはいまも広大な米空軍管制空域が存在することでさえ日本人に屈辱感はないようだ。そして米軍基地と主権の問題に無頓着でいられるのは、国民の多くが基地問題に無関心でいられるのは遠い沖縄の問題だと考えているからではないだろうか。

オスプレイが本土で低空飛行訓練する頻度が増えており、いつ何時、誰もが事故に巻き込まれるかもしれない。海兵隊員があなたの所有地を占拠し、警察さえ手出しできない状態を果たして容認できるだろうか。主権意識の弱さという戦後日本の病理が「オキナワ」という症状に現れている。病原根絶が先ではないか。

こちらの記事は、2017年10月20日に「沖縄タイムスプラス」に掲載されています。

屋良朝博

フィリピン大学を卒業後、沖縄タイムス社入社。
92年から基地問題担当、東京支社を経て、論説委員、社会部長などを務めた。
2006年の米軍再編を取材するため、07年から1年間、ハワイ大学内の東西センターで客員研究員として在籍。
2012年6月に退社。現在、フリーランスライター。