研究・報告

「新しい冷戦」という言葉 米中衝突まだ回避可能(藤原帰一)

ND評議員/東京大学教授

「新しい冷戦」という妖怪が徘徊(はいかい)している。11月から12月にかけて韓国、デンマーク、シンガポールなどで開催された国際会議に出席したが、どの会合でも共通して関心を集めたのが米中関係の緊張である。

さらに、自分は賛成ではないがという前置きをつけた上で、現在の国際情勢を新しい冷戦と呼ぶ分析が広がっているとの指摘が繰り返された。

自分は賛成ではないという逃げを打ちつつ学者が同じ言葉を口にするときには用心が必要だ。そうあってほしくないと思いながらそうかも知れないという恐れを抱いてその言葉を使っているからである。ではいま、世界は新しい冷戦に向かっているのだろうか。

米ソ冷戦との違いを挙げることは難しくない。まず、世界がアメリカと中国の勢力圏に分割されたとは言えない。ソ連が東欧地域を勢力圏に組み込み、さらにアゼルバイジャンや中国・朝鮮半島などに勢力を拡大することが懸念された冷戦初期と現在との違いは明らかだろう。

また、米中、あるいは米ロの間に対立が芽生えているとはいえ、外交交渉の機会は存在しており、軍事力による封じ込めだけが政策の手段となっているわけではない。何よりも、どこでどのような戦争が発生し、それが米中ないし米ロの直接の戦争にエスカレートするのか、戦争の蓋然(がいぜん)性が懸念される地域が特定されているとは言えない。

新しい冷戦という言葉は、かつての冷戦が再現したという分析ではなく、米中両国の対立が継続し、拡大することへの懸念の表れだ。実際、米中両国間における貿易紛争は決着する展望がまだ見えない。米中対立のためにアジア太平洋経済協力会議(APEC)は首脳宣言を採択できなかった。

その後アルゼンチンで開催された20カ国・地域(G20)首脳会議に合わせて米中首脳会談が開かれ、追加関税措置については当面の猶予が合意された。だが、細目について米中で齟齬(そご)が見られたばかりか、中国の大手通信会社ファーウェイの副会長・孟晩舟がカナダで逮捕されたために米中関係打開の可能性は遠のいたかに見える。

ファーウェイに関する紛争は米中対立がサイバーテクノロジーにおける経済紛争に波及した表れである。サイバーテクノロジーについては技術情報の流出や個人情報の漏洩(ろうえい)などを含み、また次世代通信規格5Gをめぐる競争に結びついているため、軍事的対立と連動する懸念が高い。

これまでの中国の貿易黒字や対外投資規制、あるいは知的所有権の運用などに関する紛争は、中国に対して国際的な合意の遵守(じゅんしゅ)を求めてはいても、中国の国家的利益を害するものではなかった。だが、サイバーテクノロジーはより直接的な国益の衝突とつながりやすい。米中経済紛争は妥協の困難な領域に波及した。

アメリカが金融情報をもとに中国を圧迫していることにも注意しなければならない。すでにイラン制裁の過程において、アメリカは財務省外国資産管理室(OFAC)を通じて各国金融機関に規制を加え、金融取引の情報を獲得してきた。

今回の孟副会長逮捕のもととなった情報はイギリスの金融大手HSBCから提供されたと報道されているが、これもOFAC規制と結びついた展開といっていい。世界各国の大手金融機関から得た情報をもとにして中国に圧力をかけているのである。これは関税引き上げの競争などとは次元の異なる経済的手段を用いた強制外交であり、米中対立を加速する選択である。

もっとも、米中の対立が軍事紛争に発展するには、さらにいくつかのステップが必要だろう。南シナ海などにおける領土問題、あるいは一帯一路政策と連動したスリランカやミャンマーへの勢力拡大は大きな懸念を呼び起こしているが、大規模な軍事紛争にエスカレートする危険はまだ乏しい。

警戒すべき地域は二つ、北朝鮮と台湾である。米朝会談以後も北朝鮮の非核化は進んでいないが、米朝会談の成功を唱えてきたトランプ政権が態度を一変し、非核化が遅れた理由に中国の圧力を掲げる可能性がある。

台湾の統一地方選挙で与党民進党が大敗を喫した背景には共産党政権が台湾に加えた圧力があるが、2020年の次期総統選挙に向けてこのような圧力が加えられた場合、台湾問題が米中関係の争点に浮上する可能性がある。だが、これらの展開はいずれも避けることのできない事態ではない。

先走ってはいけない。国民に弾圧を加えウイグル族などに迫害を繰り返す中国は西側諸国と異なる体制であるが、体制が異なるからといって戦争が必要になるわけではない、新たな冷戦の到来は、まだ不可避ではない。

(国際政治学者)

こちらの記事は、2018年12月19日に「朝日新聞デジタル」に掲載されています。

藤原帰一

東京大学大学院法学政治学研究科教授。1956年東京生まれ。専門は国際政治、比較政治、東南アジア現代政治。東京大学大学院博士課程を修了し、フルブライト奨学生としてイェール大学博士課程に留学。千葉大学助教授、東京大学社会科学研究所助教授を経て、1999年から現職。日本比較政治学会元会長。