「いま必要なのは戦争を起こさないための外交です」。軍事力が抜本的に増強されるなか、「戦争回避」を訴え、講演で国内各地を飛び回る。
夏にはワシントンへ行く予定だ。コロナ前は毎年3、4回、渡米した。米軍基地、安全保障、原発などについて、米政府や議会に働きかけを行い、既存の外交ルートには乗らない日本の多様な声をワシントンに届けてきた。
米議会関係者との面談は600回近い。2013年にはシンクタンク「新外交イニシアティブ(ND)」を立ち上げ、具体的な政策提言を行い、調査・研究も行う。国会議員の訪米を企画し、日米議員をつないできた。
小学生の頃から国連で働くのが夢だった。弁護士になったのも国連への近道と思ったからだ。日本で弁護士として社会問題に取り組んだあと、国際人権を学ぶため、07年、ニューヨークのコロンビア大ロースクールに留学。さらに09年から3年間、国際関係を学ぶためにワシントンへ。が、そこで日米外交の実態を知ったことが人生を変えた。
米国には日本の一部の声しか伝わっていなかった。日本でもワシントンのごく少数の知日派と呼ばれる人たちの考えが「米国の声」として伝わり、東京の政策決定に大きな影響を与えていた。日本の政府や大企業は知日派の属する米シンクタンクに多額の資金を提供、追い風となる発言をしてもらい、日本メディアに報道させて「外圧」をつくり自らが望む政策を日本で実現させていた――。この仕組みを「ワシントン拡声器」と名づけ、のちに著書に書いた。
こんな外交はおかしい、何かできることはないか。まずワシントンに伝わっていない沖縄の米軍普天間飛行場の辺野古移設反対の声を届けようと手探りで米議会に働きかけを始めた。最初は連絡先もわからなかったが、少しずつ人脈を築いていった。意見を伝えるコミュニケーション力の高さに現地の人も舌を巻く。
外交に影響を与えるのは容易ではないが、米国防権限法から「辺野古は唯一の選択肢」という条文が削除されたり(15年)、米側の要求で日本のプルトニウムの保有量の削減、上限が決まったり(18年)、米下院軍事委員会の小委員会が辺野古の軟弱地盤に懸念を示したり(20年)、「仲間とともに、少しだが変えられた」と成果を感じている。
ND事務局長の巖谷陽次郎さん(32)は10年間変わらぬ姿を見てきた。「ひたむきに外交に打ち込んでいる姿はアスリートのよう。でも楽しくて仕方がないという様子です」。本人もこういう。「やりがいがある。未知の分野を切りひらいてきた自負もあります」。外交を動かすのは誰なのかを問い続ける。
(文・林るみ 写真・伊藤進之介)
(後編3面に続く)
【記事】(フロントランナー)新外交イニシアティブ代表・弁護士、猿田佐世さん 独自の外交を切りひらく 朝日新聞(1面)2023/04/01
https://digital.asahi.com/articles/DA3S15596258.html?iref=pc_rensai_article_long_206_article_next
(フロントランナー)猿田佐世さん 「変えるしかない。楽しいから続けられる」
朝日新聞(3面)2023/04/01
https://digital.asahi.com/articles/DA3S15596423.html?iref=pc_photo_gallery_bottom