「変えるしかない。楽しいから続けられる」猿田佐世(朝日新聞Be「フロントランナー」後編)

前編1面から続く

――小学生時代から人権に関わる仕事をしたかったそうですね。

小学4年の頃、ユニセフ親善大使の黒柳徹子さんが抱く飢餓状態のアフリカの子どもたちをテレビで見たのがきっかけです。6年の頃、国連を知り、働きたいと思うようになりました。

育ったのは管理教育が厳しい愛知県の町。大学で教える両親はそんな教育を批判していた。ふたりの背中を見て育ったことは大きいです。中学校は愛知教育大付属へ。自主性が重んじられ、何をするにも自分で考え、議論して決める。高校は千種高校。自由で討論をよくした。中高時代の体験は私の基礎になっています。恵まれた環境でした。

――大学卒業と同時に司法試験に合格。司法修習を延ばしタンザニアの難民キャンプへ行かれたとか。

学生時代から10年間、国際人権NGOアムネスティ日本でボランティア活動をしました。4年間、総会議長を務めたことも。でも、自分は人権、人権と言っているがきれい事ではないかと思ったんです。人権などないような場面でその言葉は役に立つのか、見てみようと。ところが、タンザニアの難民の高校で人権の授業を行うと、みんな本当に熱心に話を聞いてくれた。目指す方向は間違っていないと確信しました。自分の原点となった体験です。

まず動き、人に話を聞く。20代、30代はそんな現場主義の無鉄砲なやり方を通していました。

■具体的に提案

――ワシントンではどのように日米外交の仕組みに気づいたのですか。

たまたま私が行った時期、日本で政権交代が起こったのがきっかけです。いろんなシンポジウムが開催され、出てみると、来場者の半分は米国駐在の日本人で、政府や企業関係者、メディアなどでした。ある会場で日本のテレビ局が多くの日本人を含む来場者に「今後の日米関係はどうなるか」と、アンケートを行っていた。「よくなる」「悪くなる」の二択で「悪くなる」と答えた人が圧倒的に多かった。当時の日本の世論調査の高い支持率と温度差があったが、それが「ワシントンの人々の声」として報じられていくのを知った。日本に届く米国の情報がワシントンの日本人に左右されていると気づきました。

米国人は概して日本への関心はありません。辺野古の基地建設に反対する「沖縄の声」を届けようと、沖縄問題を管轄する米下院小委員会の委員長を訪ねると「沖縄の人口は2千人くらいか?」と聞かれ、大変ショックを受けました。でも彼は翌月には訪日し、私が求めたとおり、政権幹部と会ってくれた。「沖縄県民の気持ちが大事だ」と発言したと報じられています。

――ワシントンから日本を変えていく発想ですね。

そうですね。ワシントンを変えるのは難しい。私のできることはわずかにすぎない。でも日米安全保障政策に大きな影響をもつ知日派と言われる人は5人から30人ぐらい。ワシントンを少しでも変えられれば日米外交は大きく変わる。

米国は巨大NGOなど、市民と政府をつなぐ中間団体が充実しています。草の根の声を議会や政府に提言し、実現していくシステムがある。私が「新外交イニシアティブ(ND)」を立ち上げたのは、日本にも外交分野でそうした団体が必要で、シンクタンクからの発信なら米国でも聞いてもらえると思ったからです。ワシントンの対話では、反対だけではダメ。どうしたいのか、具体的な政策を提案しなければ相手にしてもらえない。

■楽しいから

――いま、日本が軍事力拡大路線を突き進むなか、講演では「戦争を回避せよ」と訴えています。

ここ数年で日本の安保・外交の状況は急激に変わりました。中国が力をつけ、米国が相対的に力を落とすなか、日本は軍事力を増強、今や日米同盟をリードしている面すらあります。「対米従属」だけでなく、日本は米国が手を出せないことにも関わったり、米国に対してより強硬な外交政策を求めたり。

他方、日本の安保の論議では戦争が起こるとどうなるか、被害の現実は語られていない。有事にどうするかという議論の前に、有事を起こさせないためにどうするかの議論が絶対に必要です。私は米中の間で、したたかな外交を行っている東南アジア諸国がモデルになると考えています。

――希望をもって活動されていますか。

変わる希望があるとか、ないとか考えることはあまりないです。変えるしかない。そして楽しいから続けられる。NDのスタッフはみんな若く、楽しんでやっていますよ。第一線の専門家を交えて具体的な政策を提言していますが、この数年、軍事による抑止力一辺倒ではなく何ができるかを発信してきました。市民の方々はもちろん、何よりも政治家の方々に読んでほしいですね。

■プロフィル

★1977年、東京都生まれ。2歳で愛知県へ。小学6年のころ、「国連で働きたい」という夢をもつ。中学生から器械体操を始める。写真は中学時代。

★95年、早大法学部入学。NGOアムネスティ日本で活動。

★99年、司法試験に合格。タンザニアの難民キャンプなどでボランティア活動を行う。02年以降、弁護士として人権に関わる案件を担当。

★07年、ニューヨークのコロンビア大ロースクール入学。ニューヨーク州弁護士資格を取得し、09年にワシントンへ。アメリカン大大学院で国際関係学を学びながら、日本の多様な声を米国へ届ける活動を始める。

★13年、東京で「新外交イニシアティブ」を設立。毎年、ワシントンを何度も訪れ、米政府や議会への働きかけを行う。

★家族は弁護士の夫と6歳、10歳の男の子。

★立教大学非常勤講師も務める。著書に「新しい日米外交を切り拓く」「自発的対米従属」など。

 

【記事】(フロントランナー)新外交イニシアティブ代表・弁護士、猿田佐世さん 独自の外交を切りひらく 朝日新聞(1面)2023/04/01
https://digital.asahi.com/articles/DA3S15596258.html?iref=pc_rensai_article_long_206_article_next
(フロントランナー)猿田佐世さん 「変えるしかない。楽しいから続けられる」
朝日新聞(3面)2023/04/01
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