研究・報告

「安定」政権の日本 多国間協力主導に活路(藤原帰一)

ND評議員/東京大学教授

私の名前、帰一は、石橋湛山とともに東洋経済新報社で活躍した遠縁の親戚、三浦銕太郎につけられたものだ。東西対立が終わり新しい時代が生まれると考えた老ジャーナリストは、その夢を赤ん坊の名前にこめたらしい。三浦銕太郎は少し先走りしたのだろう。私が生まれてから冷戦が終わるまで30年以上が必要だった。そしてベルリンの壁が倒されてから30年、東西の分断を越えて世界がひとつになるという夢が後退している。

いま国際政治で私たちが直面するのは、2016年に起こったできごと、すなわち欧州連合(EU)離脱を定めたイギリス国民投票と、アメリカ大統領選挙におけるトランプ氏の当選という、予想を裏切る二つの事件の影響である。それから2年余り、民主主義と資本主義という政治と経済の制度を共有する世界が統合に向かうという展望は、大きく後退した。砂を噛(か)む思いだ。

そのなかで、日本は特異な位置にあるように見える。コリアンに対する醜いヘイトスピーチを例外とすれば、ヨーロッパ諸国などを席巻する反移民・反難民の政治は日本では起こっていない。ポピュリズムと既成政党が対決する政治的混乱も起こっていない。世界的規模でリベラリズムが後退し政治秩序が動揺するなかで、日本の安定は例外的な存在である。

日本の安定は安倍政権の安定と重なって見える。バブル経済破綻(はたん)後の長期不況と、ねじれ国会のもとで毎年のように首相が代わる政治情勢と比較するなら、経済が安定を取り戻し、12年以来同じ首相が政権を担う状況はそれだけで大きな価値がある。さらに、多くの海外歴訪によって国際政治における日本の存在を示すことができた。日本の首相がこれほど国際的に認知されたのは小泉首相以来である。

だが、私は、安倍政権が外交で成功しているとは考えない。安倍首相のめざす三つの目標、すなわち日米同盟の強化による中国への牽制(けんせい)、北朝鮮に拉致された被害者の一日も早い帰国、そして日ソ共同宣言以来残されてきた日ロ平和条約交渉のどれもが成果を上げていないからだ。

日米関係については安倍首相がトランプ大統領との信頼関係を獲得したことも、アメリカの対中警戒が高まったことも間違いない。だがトランプ政権の対中政策の焦点は軍事以上に経済に置かれ、米中貿易紛争の長期化によって日本経済への打撃が懸念となった。北朝鮮については米朝首脳会談によってアメリカと直接交渉する機会を得ただけに、拉致問題について日本に譲歩する可能性はむしろ小さくなった。これが日ロ関係になると、1月14日に開催された外相会談では南千島はロシアに帰属するとラブロフ外相に一蹴された。このたびの日ロ首脳会談でも領土返還の道筋が整ったとは言えない。

外交目標の達成が難しい第一の理由は実現困難な目標を掲げているためだが、それに加え、経済援助のほかには相手国を操作する手段が日本に乏しいことがある。アメリカ、北朝鮮、ロシア、どの例を見ても日本と協力しなければ打撃を受けるという状態ではない。

主要な外交課題が難航するなかで安倍政権に残された課題が憲法改正である。私は憲法を守ることで日本の平和が保たれたとの議論には賛成できないが、すでに安保法制によって同盟と憲法の矛盾を当面は解消したいま、なぜ憲法改正が必要となるのかは理解できない。大きな成果を収めることなく終わった南スーダンへの自衛隊派遣について振り返って検討することの方がよほど重要だろう。

だが、国内政治では、外国政府のような抵抗に出会うこともない。憲法改正に反対する勢力の力が弱い今だから憲法改正が可能だという見方もあるのだろう。国際関係では日本を上回る力に抗することができないが、日本国内であれば政府が優位に立つ。外に弱く、内に強い政治の姿である。

では、何をなすべきか。他国を操作する手段が乏しいのであれば、他国も賛同する、あるいは賛同せざるを得ない枠組みを示し、国境を越えた多国間の協力を支え、発展させることである。

安倍首相も数々の演説で多国間の協力を呼びかけてきた。最近では、昨年10月に開催された第12回アジア欧州会議首脳会合において多角的貿易体制の堅持を訴えた。貿易における多国間協力を日本が呼びかけるのは当然のことにも見えるが、貿易だけではない。国際連合が呼びかけた持続可能な開発目標(SDGs)について安倍政権は推進本部を設け、SDGsの実現に向けたアクションプランを発表している。

国境を閉ざしつつある世界のなかで、国境を越えた協力を模索すること。それこそが、世界各国から信頼される日本への選択だろう。

(国際政治学者)

こちらの記事は、2019年1月23日に「朝日新聞デジタル」に掲載されています。

藤原帰一

東京大学大学院法学政治学研究科教授。1956年東京生まれ。専門は国際政治、比較政治、東南アジア現代政治。東京大学大学院博士課程を修了し、フルブライト奨学生としてイェール大学博士課程に留学。千葉大学助教授、東京大学社会科学研究所助教授を経て、1999年から現職。日本比較政治学会元会長。