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領土領海 ― 主権譲らず挑発もせず

2012/8/21 藤原 帰一

ロシアのメドベージェフ首相による国後島訪問から2カ月も経たない8月、韓国の李明博大統領が竹島を訪問し、香港の活動家が尖閣諸島の魚釣島上陸を強行した。日本が軽く見られているという印象は避けがたい。

私は、既に竹島を実効支配している韓国が大統領訪問に訴えることは、日韓関係に新たな対立を加える愚かな行動であると考える。さらに、尖閣諸島から南シナ海に至る地域において、中国政府が日本ばかりでなく韓国、ベトナム、フィリピンの領土と領海を無視する行動を行っていることは容認できないとも考える。領土紛争の政治化や威迫と既成事実による国境の変更は国際関係の安定を損なうからである。

ここでの領土問題は国際関係、つまり政府と政府の関係としての問題だ。しかし、領土問題には別の側面がある。国民と国民、社会と社会の関係である。

私たちは、政府は対立しても国民や社会の間では相互理解が可能だと考えやすい。だが、その反対、つまり政府間では合意ができても社会の間には偏見と反目が続くことがある。領土問題と歴史問題はその典型である。

日本にとっては領有回復が課題となる竹島問題であるが、韓国にとって竹島問題は日本の植民地支配に組み込まれる第一歩、つまり歴史問題の一環であった。韓国との歴史問題は1965年の日韓基本条約によって法的に決着したというのが日本政府の立場であるが、韓国政府は慰安婦やサハリン残留韓国人などの問題は基本条約に網羅されていないと主張してきた。これらの課題についてもアジア女性基金や残留韓国人支援などの試みが行われたが韓国国内の反発は強く、日本は歴史問題に取り組んでいないとする国内世論が残された。李明博大統領の竹島訪問と、それに続く一連の発言の背景には、このような韓国の世論がある。

中国における歴史問題は、共産党体制がマルクス主義からナショナリズムにイデオロギーを転換する過程で愛国教育を強化したことから始まった。政府主導のキャンペーンは中国社会の反日感情を拡大し、小泉首相の靖国神社参拝への反発から2005年に噴出した反日デモは、共産党体制に挑戦しかねない様相も呈していた。領土領海についても当初は中国政府の主導によって独自の領有権が主張され、各国との紛争を招いてきたが、その過程で国内世論が政府以上に先鋭化する。

今回の魚釣島上陸事件は、中国政府が主導するものとはいえない。政府の焚(た)き付けた世論がその意図を越えて急進化し、政策選択を縛ってしまう。皮肉というほかはない。

国内世論が政府以上に急進化する点では、日本も例外ではない。これまでの日本は韓国と中国に屈服を繰り返し、領土と領海を奪われてきた、いま必要なのは韓国や中国の不当な要求に屈しない断固たる姿勢だ、そんな主張が近年の日本で広がっている。日本で続く経済的停滞と政治の混乱のために、外国から軽く見られているという認識が強まった面もあるだろう。

政府よりも国内世論の方が強硬な対外政策を求めるとき、外交における妥協は敵に対する屈服であるかのように映り、武力行使の可能性が拡大する。第1次世界大戦直前のヨーロッパでは各国のナショナリズムが高揚し、自滅的な戦争を招く一因となった。私は現在の東アジアが戦争前夜にあると考えないが、日本だけでなく韓国でも中国でも政府の信用が低下し、より強硬な対外政策を求める世論が生まれていることは事実だろう。

ではどうすべきか。領土領海については、主権は譲らないが挑発もしないアプローチが必要だ。日本が実効支配する尖閣諸島については日本ばかりでなくアメリカ、韓国、東南アジア諸国連合(ASEAN)諸国との連携の下に武力介入を阻止するが、実効支配をしていない北方領土と竹島については法的に主張する一方で武力行使は自制すべきだろう。

また、領土では妥協しない一方、歴史問題については新たなアプローチが必要ではないか。日韓関係でいえば、歴史問題は決着済みだとする日本政府の主張が韓国社会に受け入れられていない現状を直視して、従来の政府合意と河野談話・村山談話に加え、さらに明確に植民地支配と戦争への責任を表明する。日本側のイニシアチブによって、正義の名の下に粗暴な対日偏見が広がる根を断つのである。

これは韓国や中国への迎合ではない。終戦から70年近く、日本国民は好戦的ナショナリズムを排除し、民主政治を維持してきた。戦後日本に誇りを持つことが自虐史観になると私は思わない。賢明な外交は、力に加え、諸外国の寄せる信頼に支えられることを銘記すべきだろう。

2012年8月21日 朝日新聞夕刊 『時事小言』より