日米外交の既存のチャンネル
安倍首相が本年2月、ワシントンを訪問した。安倍首相はホワイト ハウスでオバマ大統領と会談し、在ワシントンのシンクタンク「戦略国際問題研究所(CSIS)」で講演した。オバマ氏との共同会見で米メディアからオバマ氏に対して米国内政についての質問がなされたことに表れるように、安倍首相訪米への米国内での注目度は決して高くなかった。しかし、安倍首相の訪米は、ワシントンで対日政策に関わる人々に対しては「Japan is back(日本は戻った)」を強くアピールするものとなっただろう。
CSISでの講演会には、対日政策を担ってきたリチャード・アーミテージ氏(元国務副長官)、トーマス・シーファー氏(元在日大使)等が出席し、CSISの所長ジョン・ハムレ氏(元国防副長官)が司会として冒頭挨拶を行い、CSISの日本部長マイケル・グリーン氏(元国家安全保障会議アジア上級部長)もコーディネーター役を務めた。
そして、安倍氏は、 アーミテージ氏の目前で、講演冒頭に「日本は 二級国家にはなりません」と訴え、昨夏、CSISから発表された第三次アーミテージ・ナイ報告書(後に詳述)への返答をした。また、講演途中にも、ジョン・ハムレ氏やマイケル・グリーン氏に「ジョン、マイク」と呼びかけ、親密さをアピールした。これまで戦後60年以上もの間、五五年体制下で築かれてきた日米間のチャンネルが、自民党の政権復帰により再び表舞台に登場したことを示した瞬間であった。
米国の対日影響力
安倍首相をCSISの講演会場で迎えた人々の外交プロトコール(国際儀礼)上の地位は、一国の総理大臣よりかなり低い。オバマ政権内の人々は会場にはいないようであった。にもかかわらず安倍首相が進んでCSISで講演を行うには理由がある。
ワシントンの日本に対する影響力はとても大きい。そして、その影響力の源は、現政権担当者ばかりにあるのではない。このアーミテージ氏、グリーン氏、ハムレ氏といった人々は「知日派」と呼ばれ、常に日本のメディアに登場し、日米関係についてはもちろんのこと日本の国内政策についても大きな影響力を及ぼす。
その代表が、昨年八月に第三弾が発表された、いわゆる「アーミテージ・ナイ報告書(正式名称“The U.S.-Japan Alliance; Anchoring Stability in Asia(米日同盟:アジアの安定をつなぎとめる)”」である。同報告書は、第一弾が2000年、第二弾が2007年に公表されている。刊行後5年~10年の日本の安保・防衛政策を方向づけてきたと評されることもある程の影響力を持ち、集団的自衛権行使の制約解除、PKOへの自衛隊全面参加、日米ミサイル 防衛協力の範囲拡大等を日本に求めてきた。2012年8月15日の第三弾発表と同時に日本ではマスコミ各社が取り上げ(米メディアでは、このように取り上げられてはいない)、読売新聞は報告書の要約ともいえる文章を社説として掲載した。ただちに防衛省で翻訳が作られ、また、海上自衛隊幹部学校のウェブサイトに解説論文が掲載された。
アーミテージ・ナイ報告書は、米政府から出されたものではない。発表先も第一弾は米国防大学の国家戦略研究所、第二弾、第三弾は民間シンクタンクのCSISの発行である。政府発表でないにもかかわらず、なぜそこまで日 本に対して影響力をもつのか。防衛・安保・経済その他のありとあらゆる分野について、こういった米国発の発表物の影響が大きいことは、日本の多くの人々が認識しているが、それらが強い影響力をもつのはなぜか、については、あまり知られていない。その理由を理解するには、米国の政治やシンクタンクの「ワシントンシステム」を、特に、その中でも日米外交を巡る「ワシントンシステム」を理解する必要がある。
「ワシントンシステム」とは
一つ目には、これはよく知られていることであるが、現在は民間シ ンクタンクの研究者であっても、彼らが過去あるいは将来に政権の中で日米外交に直接関与する人々であることがその影響力の理由としてあげられる。たとえ ば、アーミテージ・ナイ報告書の著者であり、「日米同盟の守護神」とも評される米共和党系知日派の代表格アーミテージ氏は、現在、自らのアーミテージ・インターナショナルというシンクタンクで活動しているが、レーガン政権では国防次官補(国際安全保障問題担当)、ブッシュJr.政権で国務副長官を務めた。同じく同報告書著者のジョセフ・ナイ氏はハーバード大学教授であるが、クリントン政権下でCIA直属の国家情報会議(NIC)議長(次官級)を務めた後、国防次官補となり、1990年代に、「漂流する日米同盟」を安定させたとして評価の高い米民主党系知日派の代表格である。
米国では共和・民主の政権交代が4年、8年といった単位で繰り返され、その都度政府高官が大幅に入れ替わる。前政権にいた高官たちはシンクタンクや大学などに戻り、それまでシンクタンクなどにいた人々が政権に入り実務を担う。政権交代の際に政府高官を入れ替えるこの制度は「回転ドア」とも呼ばれるが、このシステムを可能にするのがシンクタンクの存在である。即ち、シンクタンクの上級研究員は、数年後には自己が出した提言を自ら政権内部から政府として実行する立場になりうるのである。また、政権からシンクタンクに戻った人々は次に支持政党が政権に復帰するまで、シンクタンク等をベースに活動を行う。シンクタンク在籍中は、より発言も活動も自由であるという点も手伝って、皆、精力的に政策提言を行い、議会での公聴会証言や政府委託の研究業務などを行って政権内への影響力を行使する。さらには、シンクタンクに籍を置きながらも政権内外に有する人間関係を用い、「間接的」という以上の影響を自らの入っていない政権にも大きく及ぼす。肩書きは「シンクタンク上級研究員」であっても、日本で同様の肩書きを持つ民間人とは全く異なる影響力を持ちうるのはこの政治システムゆえである。
シンクタンクという「場」を通じてその影響力はさらに増す。世界各国の首相・大臣クラスの政治家がワシントンを日々訪問し、交渉・面談・講演などを行い主張を訴えていく。多くの場合、その受け皿になるのもシンクタンクである。たくさんの催しが開かれ、その場自体が、世界中の政策に多大な影響力を有する者の集まりとして、講演者・参加者の意見交換・人間関係づくり、ひいては、交渉の場となる。こういった場には各国大使や米国を含む各国の現政権関係者も参加する。メディアも積極的にシンクタンクの催しに参加し、シンクタンクを重要な情報源としている。ワシントンのシンクタンクでの日本関連のシンポジウムや講演には、日本の報道陣が勢揃いすることも少なくない(その場に米メディアがいないことも珍しくない)。それらシンクタンクでの催しの多くはウェブサイトで公開され、世界中の人々の目に触れることになる。
なお、日本でもシンクタンクが活動しているが、大規模なものは野村総合研究所、キヤノングローバル戦略研究所や、日本国際問題研究所など企業関連や政府の外郭団体が大半である。これに対し、米国のシンクタンクは企業・ 個人からの寄付で成り立ってはいるが形の上では独立しており、501(C)(3) という非営利団体の認定を受けており、日本のシンクタンクとはかなり異なる存在である。さらに、その成り立ちはもちろん、政策提言の影響力、政権交代の際 の回転ドア方式、また、世界各国から閣僚級政治家が訪問すること等、日本とワシントンのシンクタンクではかなり異なっている。
今回、表舞台に返り咲いた日米外交の強力なチャンネルは、このワシントンシステムの上に成り立っている。
日米関係についてのワシントンシステム
国際社会において日本の存在感が低下する現在、米国内の知日派は減少している。限られた数の知日派のもつ影響力は増し、さらに日本からの期待が集中する。
ワシントンには日本からも多くの政治家が次々訪問するが、彼らは 米政府関係者や連邦議会議員との面談に加え、シンクタンク研究員との意見交換を訪問の重要な目的としている。数限られた知日派に、次々日本の政治家が面談 を申し込む。日本のメディアも同様で、ワシントン発のコメントが必要な際、米政権内部の人物に比して接触しやすいシンクタンクの研究員から取ることも多いが、知日派が多くないため、コメントする顔ぶれは限られる。これによって、数少ない知日派の影響力はさらに増す。
なお、ワシントンで日本専門家を擁するシンクタンクは、マイケル・グリーン氏が日本部長を務めるCSISがその代表格であり、雑誌フォーリン・アフェアーズを発行する外交問題評議会(Council on Foreign Relations, CFR)、ブッシュJr.政権で副大統領を務めたチェイニー氏が理事を務めるアメリカン・エンタープライズ・インスティチュート(AEI)、保守的と評されるヘリテージ財団がある。また、近年、カーネギー国際平和基金、ブルッキングス研究所が日本研究者を新たに招いた。なお、恒常的な日本部を唯一置いているCSISが、その日本部の規模やシンポジウムの開催回数、アーミテージ・ナイ報告書などの日本関連出版物の発行部数などからしても、日本関連では現在一番活発であるといってよいだろう。日本企業からの多額の寄付がなされ、常時多くの日本企業や官庁、マスメディアが客員研究員を送っている(現在のCSIS客員研究員の出身は内閣官房・公安調査庁・防衛省・警察庁・東芝・NTTデータ・経団連・東京海上日動・JETRO。CSISのウェブサイトによる)。自民党青年局長の小泉進次郎氏も国会議員立候補前にCSISに在籍していた。なお、CSISは日本経済新聞社と提携してネット上のシンクタンク(バーチャル・シンクタンク)を立ちあげ、日本でも毎年大きなシンポジウムを開催している。
今回の安倍氏の訪問に限らず、ワシントンのシンクタンクで行われ る日本関連の講演会は、日本メディアが大きく取り扱うことが多い。たとえば、2011年9月、当時民主党の政調会長であった前原誠司氏がPKOの武器使用 制限緩和や武器輸出三原則見直しをワシントンのシンクタンクの講演会で述べたが、これは朝日新聞夕刊の一面トップ記事となった。かつてからその持論を有し、当時政権内にいなかった前原氏が同内容の講演を当時日本で行っても、このように報道はされなかっただろう。このワシントンの「拡声器効果」を理解して、重要事項を敢えてワシントンで発表する政治家も少なくない。石原慎太郎前都知事が尖閣諸島を購入すると発表したのもワシントンのシンクタンク、ヘリテージ財団での講演においてであった。
ワシントンシステムを利用した既存の日米間のチャンネルは、それが機能する場面では非常に大きな影響力を持つ。
限定されたチャンネルとカウンターパート
しかし、この既存のチャンネル以外に、他に情報を交換・共有するルートが日本・ワシントン間には存在しない。また、この既存のチャンネルにおいては、米側の「カウンターパート」が知日派とその他一部に限られており、情報が伝わる先が非常に限られている。即ち、限られた日本の情報のみが限られた米国の相手に届いているにすぎないのが現状である。逆方向の米国から日本への情報の流れも同様で、限られたワシントンの情報のみが日本に届いている。
私が国会議員等の外交活動のサポートをする際、日本からの情報が知日派を超えたワシントンの広い「受け手」に伝わっていないことを常に感じている。挙げればきりがないが、象徴的な例を紹介したい。
鳩山政権時代の2009年12月、日本メディアが連日普天間基地問題を取り上げていた頃、私は、米国連邦議会下院の外交委員会アジア太平洋環境小委員会(現在のアジア太平洋小委員会)の委員長であったエニ・ファレオマバエガ下院議員(当時)と面談した。米下院外交委員会で沖縄問題が議論されるならば、管轄は同小委員会である。是非、米下院でこの問題を真剣に取り上げて欲しいと話す私に、委員長は、大変関心があると述べた上で、「沖縄の人口は何人か」と質問をした。150万人に達していたか? と頭の中で考えていた私に、委員長は「2000人くらいか」と続けた。唖然としながら「100万人以上います」と答えると、「では、飛行場を1つ作ってあげることがその人たちのためになるのでは」と委員長は述べた。
普天間基地の移設についてどのような意見を持つ人でも、米国議会の担当委員会委員長がこの程度の認識しか持っていないことについては問題だと思うだろう。しかし、関心領域にない事項について、誰も情報を運んでこないのであるなら、この程度の認識でもやむを得ないのかもしれない。他にも例を挙げればきりがない。
先述の日米間の既存のチャンネルが機能して、現在の日米関係が築かれてきた。これからも、日本に強い関心を持ち、知識・経験を有する人からなるこのチャンネルが重要でありつづける。日米外交や日本の重要国内問題を検討する際には、このパイプに繋がる人々に、「日本」が目指す方向性を丁寧に伝え、議論を重ねることが引きつづき欠かせない。
もっとも、現在の日本は価値観が多様化し複雑に絡み合っている状況にある。かつてのように、多くの論点について保守・革新で賛否が真っ二つだった時代ではない。日本の中の意見の相違を国会議員のみから概観したとしても、TPP、原発などについて、入り組んだ意見分布図になる。また、かつての(極めて大雑把に述べれば)「米国に追随する保守」と「米国と対立する革新」 という政党構造も変化した。さらには、政党が濫立している上に生まれては消え、政権交代も起こる。この現在の状況下では、米国との関係において、戦後長期間、五五年体制時代の多数派の声を確実に伝えてきた日米間のチャンネルは、「日本の声」を伝えるルートとして機能しない場面がでてくる。「日本の声」が様々である以上、この日米間の既存のチャンネルが伝えることのできる「日本の声」とは「誰の声」なのか、場面場面によって判断されねばならない。
今私が述べているのは、既存のチャンネルが保守のために機能し、リベラルのためには働かない、というような二分論ではなく、テーマごと、場面ごとに評価されるべきものについてである。
自らの声を伝えたいとしてワシントンを訪問する日本の国会議員も、独自に米国側とチャンネルを持つことは難しく、多くの場合は外務省に訪米の際の面談設定などを一任する。結果、自らが本来望んでいるはずの米側の面談相手とは会えずじまい、という事態も少なくない。わずか数日間のワシントン滞在のうち1日が日本大使館によるブリーフィングのみという議員訪米日程もあれば、秘書も連れた5人も6人もの日本の国会議員が1人のシンクタンク研究員を囲んで話を聞いていることもある(私はそんな様子をワシントンから見ていて、日米の格差に悲しくなり、また、議員等の訪米がもう少し有効なものにならないか、と感じて、議員等のワシントン訪問のサポートを始めた)。
このように、現在、ワシントンと日本とを繋ぐ外交は、その「チャンネル(運び手)」やカウンターパート(米国側)の面からも、その結果伝わる情報の面からも十分なものではない。しかし、他にルートがないことから、既存のパイプによって運ばれる限られた情報によって、限られた「受け手(米側)」により、対日政策が決定されていく。
幾重もの外交パイプの必要性
議員であれ、民間人であれ、米国に自分たちの声が届いていないと感じることは少なくないだろう。また、米国の影響力に憤りを覚えることもあるのではないか。しかし、自らの声を米側に伝える努力を十分にしてきたかと振り返りたい。
これは、多くの論点について当てはまることであるが、一番に思い出されるのは、日本での民主党への政権交代直後の2009年夏以降のワシントンの状況である。知日派の多くが民主党の「誰と話をすべきかわからない」「情 報がない」と話していた。ワシントンには、民主党のオフィスもなく、ワシントンで民主党政権の声を代弁する人は、当時、皆無であった。政権交代まではワシントンを訪問する国会議員にも民主党の議員は少なく、民主党が、そして、新たな政策を実現したいと考える層が、米政府関係者や知日派と丁寧に人間関係を作り、政策を時間をかけて説明するということも試みられていなかった。日本の制度では、大使館職員も政権交代前後で変わることもない。戦後60年以上続く既 存のチャンネルをそのまま使って、そのチャンネルが機能しない声を運ぼうとしたために、最終的に首相辞任という事態に至ってしまった。民主党の国会議員に、民主党のワシントン・オフィスを作ってはと、話したこともあったが、「いいアイディアだが党内政治が難しい」「お金がかかる」などの反応であった。現在の民主党の状況を見るにつけ、政権交代前から十分にワシントンとのチャンネルを繋いでいたらどうなっていたか、と考えてしまう。翻って自民党議員は、首相経験者クラスを含め、野党時代も頻繁にワシントンを訪問していた。ワシントンの影響力を理解しその人的繋がりを重要視しているのは長い政権与党の経験ゆえであろう。ドイツの主要政党はみなワシントンに窓口を持ち、政権交代をしても人間関係を保ち続けている。
民主党に限らない。働きかけを行いたい人々が声を伝えられるよう、多様なチャンネルの構築が必要である。
政策でつながる
既存のチャンネルを超えた多様なチャンネルの構築が必要であるが、その際に意識すべきなのは、「米国」も一様ではない、という点である。広く米国全体を見れば、当然ながら米国の中にもさまざまな立場がある。政策で一致して動くべきなのは国内でも国外でも同様である。当たり前のように聞こえるかも知れないが、政策が一致し共闘できるカウンターパートを求めるための、国境を越える働きかけはこれまでどのくらい行われてきただろうか。
再び沖縄の米軍基地問題を例にとろう。この間、この問題で多くの米連邦議会議員や米専門家と話をしてきたが、単に「沖縄の基地問題」といっても、もともと関心のない人々には響かない。しかし、米国には、環境問題や女性問題、先住民の権利保護等に熱心な層が厚く存在する。その視点から状況を説明すると彼らの関心は沖縄に向いていく。近年特に、在日米軍問題は頻繁に米国の財政難から語られ、少なくない連邦議会議員がその視点から沖縄からの海兵隊撤退を持論としている。稲嶺進名護市長のワシントン訪問をお手伝いした際、多くの面談をこなした後、市長が、「日本では抑止力でこの問題は語られるが、この街ではみなが財政難からこの問題を語る」と述べていたことが印象深い。
実現したい政策(獲得目標)がある場合、同じ視点からか異なる視点からかは別としても、米国内にもその政策を実現したいと思う層が多かれ少なかれ存在する。政策で共通する人々へ働きかけを行い、共に動くことで、こちら側のみならず米国の「受け手」側が得るものも大きい。政策で手をつないでいくことの必要性は、日本国内、国外を問わず共通である。実現したいテーマを国際社会で実現していくためには、この政策ごとのつながりは不可欠である。
さらに政策でつながることの利点はそれにとどまらず、日本に関心を有する人を増やすという点でも大変有効である。たとえもともと日本に関心がない人々であっても、政策ごとにつながれば、結果として、新たに日本に興味を 持つ人を獲得することにもつながる。知日派が減少することを嘆くばかりではなく、増やす努力をしていかねばならない。
新外交イニシアティブ
様々なパイプの構築と、政策で一致できるカウンターパートの開拓。これは容易なことではない。ワシントンでの議論状況や各人の政治的立場を論点ごとに理解せねばならないが、知日派以外の人々は日本のメディアに登場することも少ない。さらには具体的に各人に働きかけて、信頼関係を築かなければならない。そのプロセスには時間もかかる。しかし困難でも、これを丁寧に行うことは極めて重要であり、かつ、直接的に影響力の源に働きかけられることから、うまく働くときにはその効果は大変有益なものとなろう。
ワシントンの影響力を考えれば、上記民主党の例のみならず他の政党・政治家にとっても、その他、外交を通じて自らの政策を実現したい団体・個人にとっても、その恒常的な窓口をワシントンに持つことは非常に重要である。だからこそ、大企業の多くがワシントンにロビーイングオフィスや駐在員を置いているのである。しかし、ワシントンに誰もがオフィスを持つことは不可能である。
私は、現在、そういった幅広い声を国境を越えて伝え、情報を相互に流通させ、政策提言を行うために、ワシントンで外交サポートしてきた経験をもとに、シンクタンク「New Diplomacy Initiative(ND・新外交イニシアティブ)」の立ちあげ準備をしている。
「新外交イニシアティブ」は、政府間外交、議員外交、知識人外交、民間経済外交、市民社会外交などマルチトラックによる「新しい外交(=New Diplomacy)」の推進をその趣旨とし、国境を越えて情報収集・発信・政策提言を行うのみならず、提言した政策の実現のため、国内はもとより、各国における政府、議会、大学、シンクタンク、NGO、マスメディアなどへ直接働きかけることを活動の柱とする。この1月には設立プレシンポジウム「新政権に 問う―日本外交がとるべき針路は」を開催し、理事の鳥越俊太郎、藤原帰一、マイク・モチヅキ各氏(NDの理事には上の三氏のほか山口二郎氏が就任)等が、 対アジア外交、在日米軍基地問題等について意見を交換し、提言活動を行った。
ワシントンでは、一私人の私が外交の現場を垣間見るという大変貴重な経験をした。本稿は筆者の経験から、日米関係のワシントンの事象のみに限ったものとなったが、多様なパイプは中国・韓国、その他各国との間でも重要であろう。今後は、「新外交イニシアティブ」を基盤に、日本に、そして各国に存在する様々な声や多様な価値観を国境を越えて運びながら、豊かな外交関係の構築に尽力していきたい。