研究・報告

ウクライナ侵攻から学ぶ -力の抑止を超え、戦争回避の外交を-

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柳澤 協二 (ND評議員/元内閣官房副長官補)
屋良 朝博 (ND評議員/前衆議院議員〈沖縄選出〉)
半田 滋  (防衛ジャーナリスト/元東京新聞論説兼編集委員)
佐道 明広 (中京大学国際学部教授)
猿田 佐世 (ND代表/弁護士〈日本・米ニューヨーク州〉)

 

1.ウクライナ戦争が明らかにした3つの危機と4つの教訓

<3つの危機>

(1) 戦後国際秩序の危機

ロシアによるウクライナ侵攻は、明白な国連憲章違反である。国連は武力行使を禁止し、安全保障理事会の常任理事国5カ国に優越的立場を認め、この5カ国に平和の担保を求めているが、その戦後国際秩序の危機である。

(2) 核兵器使用の危機

ロシアのプーチン大統領が度々言及した核兵器の使用による脅しは、核の役割を限定し、核廃絶に向かう国際的潮流に対する挑戦であり、核保有国に誠実に核軍縮交渉を行う義務を課した核兵器不拡散条約(NPT)体制を根底から揺るがす危機である。

(3) 大国による人道的危機

ロシアによる戦争犯罪が明らかになりつつある。第二次大戦後に確立された国際人道法やジェノサイド条約、さらに残虐な兵器の禁止を含む戦争手段を規制する流れに逆行し、大国による人道的危機をもたらしている。

 

<4つの教訓>

(1)戦争で目的を達成することはできない

こうした危機に対して、国際世論が反発し、ロシアは孤立を深めている。欧米を中心とした西側諸国は、ウクライナへの軍事支援とロシアへの経済制裁を強め、ウクライナの抗戦を支えるとともに、ロシアを弱体化させている。ロシアが目指したウクライナのゼレンスキー政権の打倒は頓挫し、ウクライナ東南部の支配を目指した戦争は長期化している。その過程で、さらに多くの人命が失われ、核兵器や生物・化学兵器の使用など新たな危機が広がることが懸念される。

この戦争の最大の教訓は、いかなる大国といえども、戦争で目的を達成することはできないという厳粛な事実である。力による現状変更の試みによって他国を占領することはできず、なおさら他国の人々の心を支配することはできない。戦争が大国を偉大にすることは決してない。

(2)戦争は、始まる前に止めなければならない

ひとたび戦争になれば、報復が報復を呼ぶ連鎖が始まり、暴力が拡大する。双方に戦争継続の意思と手段がある限り、戦争は終わらない。

本年3月末にウクライナが示した停戦提案は、ウクライナの中立化に対する国際的保証とクリミアに関する協議継続を求め、東部2州について首脳同士の合意を図るというもので、ロシア側にも配慮した妥当なものであったが、プーチン大統領が拒否した。後に、ロシア軍が撤退したキーウ周辺で民間人への戦争犯罪が明らかになると、ウクライナはもとより、西側諸国の姿勢が強硬なものに変わった。停戦よりもプーチンの敗北を目指す戦争となり、一方のプーチンにとっても、負けられない戦争となった。

戦争は、政治による適切な妥協がなければ終わらない。だが、暴力の連鎖は、政治の妥協を困難にする。始まった戦争を終わらせることが困難であるとすれば、始まる前に、戦争を回避しなければならない。そのために痛みを伴う妥協を強いられるとしても、戦争によって失われる人命の重さを考えるなら、戦争回避の外交こそ政治の最大の使命である。 これが、2番目の教訓である。

(3)抑止と世界戦争リスク

ロシアの侵攻を止められなかった要因として、米国が軍事介入しない意思を早くから表明し、緊急的な抑止行動をとらなかったことが挙げられる。だが、仮に米国が軍隊をウクライナに派兵する意思を明らかにしていたならば、ロシアがそれを脅威と捉え、ウクライナ侵攻を正当化する理由にした可能性もある。米国とロシアとの戦争が始まっていたならば、核の応酬を含む世界規模の戦争に発展する危険があったことは誰も否定できないだろう。

大国間の戦争は、戦略核の応酬を恐れる相互確証破壊によって抑止されてきた。それは、恐怖の均衡であると同時に、世界戦争を回避する相互の理性を前提としてきた。大国の理性が働けば、大国間の戦争は抑止される。もっとも、それでは大国の利害に影響しない小規模な侵略は抑止できない可能性がある。他方、大国の介入する意思が明確であれば、小規模な侵略を抑止できたとしても、それは大国間相互に生じうる誤算が世界戦争に発展するリスクを高めることになる。

ロシアによる侵攻は、こうした抑止のパラドックスがあることに気付かせた。戦争を防ぐために、世界戦争のリスクに怯えながら軍事力を前面に押し出す抑止に頼るか、戦争回避のための別の方法を見出すかの選択を迫られている。これが、第3の教訓である。

(4)外交なくして戦争を防げない

ロシアが戦争を始めた背景に、NATO東方拡大への不満があった。ロシアが長年にわたって表明していた東方不拡大の訴えに、米国を含むNATO側が対処してこなかったことも事実である。それが戦争を正当化する理由にはならないとしても、こうした安全保障上の恐怖心や、大国でありたいと願うプーチン大統領の自負心を認識して、暴発を防ぐ適切な協議を継続していれば、戦争へ向かう意思を封じ込めることができた可能性がある。

戦争の背景には、大国間の信頼醸成の欠如があった。外交だけで戦争を防ぐことはできないとしても、信頼醸成の外交なしに戦争を防ぐことはまたできない。これが、4番目の教訓である。

この戦争の結末がどのような結果になっても、ロシア、ウクライナ両国が相互に脅威を極小化し、歴史的な紛争要因を解消する方向で合意しなければ、戦争の終わりが次の戦争の火種になるだけであり、平和の到来を意味することにはならない。戦争の終結にとって重要なのは、地域の戦闘における勝敗ではなく、双方の信頼回復である。そのような平和を実現することなくして、国際社会にとっての「勝利」はない。

■提言

日本が戦争の終結に向けて直接なしうることは限られているとしても、戦争の早期・公正な終結を求める国際世論を喚起するとともに、あらためて外交の重要性を認識し、世界のあらゆる地域で、戦争の予防に向けた外交を進める機会を見出していくことに、国の叡智を傾注すべきである。

その一環として、冷戦終結とソ連崩壊後の外交についてあらためて検証し、戦争を防ぐために何が必要であったのか、国際的合意を得るような研究作業を早急に始める必要がある。

 

2.大国の横暴に対抗する国際世論の新たな可能性

■安保理が機能不全に陥るなかで、国連総会における国際世論結集の試みがなされている。ロシア非難決議が圧倒的多数で可決され、常任理事国に対して拒否権行使の説明を求める決議がコンセンサスで成立した。

■イラン、キューバなど反米とされる国々はロシア非難決議を棄権した。だが、これらの国もロシアの侵略行為は支持していない。他方、国連人権理事会におけるロシアの資格停止決議では、反対・棄権が増加している。国際世論は、侵略や武力行使に反対し、拒否権を乱用する大国の横暴に歯止めをかけようとしているが、人権や専制主義といった価値観を理由にした制裁が世界の分断を深めることを危惧しているのである。

■こうした国際世論の高まりは、それがロシア、中国、米国のいずれであろうと、大国の一方的な武力行使に対する批判であり、国連と国際世論による戦争規制の新たな可能性を予感させる。ウクライナ戦争の停止、ロシア軍の撤退、大量破壊兵器の使用禁止など具体的な課題に即した国際世論がさらに喚起され、それにより国連総会決議などが出されていくことを期待する。

ウクライナ戦争以前から深刻化しているシリア、イエメンなど大国が介入する各地の内戦に起因する人道危機に対しても、国際世論がより積極的な役割を果たす契機になることも期待される。

■国際世論の高まりだけで戦争は止められないかもしれない。だが、国際世論は、戦争の正当性を奪い、戦争の政治的代償を示して、大国による次の戦争を抑止する力と可能性を秘めている。

米中、米ロの大国間対立が顕著になるなかで、地球温暖化、感染症、飢餓や人道危機といった地球規模の課題が一向に解決されない現状にある。これらの課題は、民主主義対専制主義といったイデオロギー対決では解決できないのであって、こうした喫緊の課題への対応においても、国際世論が大国の協調を促すことがますます必要になっている。

■提言

日本は、戦争の惨禍を経験した国として、非戦の国際世論を先導すべきである。また唯一の戦争被爆国として、核保有国に対して核兵器の先制不使用など、核兵器の役割を局限化するよう求めるべきである。それこそが、「核保有国と非核保有国の橋渡し」となる。

また、自由や人権は、最も重要な普遍的価値であるが、その価値観の違いを理由に大国が対立し、地球規模の課題について協力できていない現実を看過してはならない。価値観対立を超えた国際協調を訴えることは日本のようなミドル・パワー国の役割である。

 

3.ウクライナ戦争と台湾有事

■日本周辺では、米中対立が激化し、台湾有事の発生が懸念されている。日本では、「ウクライナが米国との同盟関係にないからロシアの侵略を抑止できなかった」として、米国との同盟関係を一層重視する認識が広がっている。しかし、ロシアと中国の武力行使の対象として比較すべきは、ウクライナと台湾である。

■ウクライナは、NATOに加盟していない。台湾もまた、米国との同盟関係にないだけでなく、米国から国家として承認されていない。問題は、同盟関係にあるかどうかではなく、米国の防衛意思があるかないかである。

米国は、台湾については、軍事的介入を否定しないが確約もしない「あいまい戦略」をとるが、折に触れて台湾防衛の意図を表明している。核を保有する中国との戦争は世界戦争に発展するおそれがあり、そのために米国がより慎重にならざるを得ないことは、ウクライナに対してだけでなく、台湾にも当てはまる。

初来日時のバイデン米大統領の発言のように、米国が台湾防衛の意思を明確にすればするほど米国は選択の余地を失い、世界戦争のリスクを冒して戦うことを余儀なくされる。それは、米軍の拠点のひとつである日本にとって米中戦争に巻き込まれる「同盟のジレンマ」である。

■中国の立場を考察すれば、ロシアは、米国と対抗するうえでの盟友であり、ウクライナ戦争の長期化と西側諸国の制裁によってロシアが弱体化することは避けたいと考えている。しかし、国際世論を意識して、ロシアへの明確な支持の表明や直接的な軍事支援には踏み込まず、慎重な姿勢をとっている。他国を武力で屈服させ、支配することの難しさをかみしめているはずである。

中国はロシアと比べ、経済的にも軍事的にも増勢を維持しており、それが米国と対抗するうえでの「力の源泉」になると考えている。悠久に流れる時を味方と考える中国が唐突にロシアのような暴挙に出るとは考えにくい。中国が台湾侵攻を決断するには十分な時間があるはずなので、これを外交の機会として生かすことが、台湾を第二のウクライナにしない不可欠な道である。

■ロシアの侵攻を受け、欧州では、NATO諸国の結束と防衛力強化に加え、新たにNATOやEUに加入する動きが出ている。一方、アジアでは、反ロシアでの結束が困難な状況にあり、反中国で結束する潮流も生まれていない。アジア諸国にある「米中の二者択一」を受け容れ難いという認識に変化は見られないが、これだけは言える。すべてのアジア諸国は、米中戦争によって有形無形の被害を受けることは確実であり、どの国も戦争を望んでいない。

■提言

日本は、米中の対立や戦争を望まないアジア諸国とともに、米中双方に自制を促し、緊張緩和を進めるべきである。

特に、台湾をめぐる関係国の対話を促すべきである。台湾をめぐる対立の焦点は、台湾の独立である。台湾、中国、米国の三者が、「独立を求めない、独立を容認しない、武力を行使しない」との共通認識を確認する「安心供与」が戦争を回避するための確実な方法である。

 

4.日本の防衛政策に向けて

■我々は、大国に隣接する国として、大国の戦争に蹂躙されたウクライナに心から同情し、熱い想いをもってウクライナの人々を支援したいと願っている。ミサイルや空爆、砲撃によって破壊された市街地の映像を見ることで、戦争を防ぐことが何よりも重要であると痛感した。

我が国の防衛政策が、一時の感情や一部の願望に合わせて、国力にそぐわないものとなり、周辺国の緊張を高めたりすることのないよう、冷静な思索と議論が必要である。

■自民党は、脅威に対抗する抑止力の構築という観点から、「反撃能力(敵基地攻撃能力)」の保有やNATO諸国に倣った防衛費の倍増などを求める提言を政府に提出している。

政府も、来日したバイデン大統領に防衛力の抜本的強化を表明したが、これでは台湾有事の際、日本が米国と共に戦う以外の選択肢を失うことになりかねない。軍事力による抑止にとどまらない安心供与の外交を起動させなければならない。

また、喧伝されている抑止力強化の方針も、必ずしも現実的ではないことを指摘しなければならない。

例えば、「(敵基地への)反撃能力」を抑止力として機能させるためには、中国のミサイル能力の大半を無力化する必要があるが、果たして可能だろうか。相手のミサイル能力を無力化できなければ、こちらの反撃がさらなる攻撃を招いて戦争は拡大する。その際、住民の安全を確保することが必要となるが、米軍の出撃基地となる沖縄県の全島避難は事実上不可能であり、実効性を確保するための訓練も行われていない。

こちらの「反撃能力」を相手の第一撃から防備するシェルターや全国的な住民の分散避難も必要となる。こうした施策を実効性あるレベルまで追及するならば、所要経費は想像を絶するものとなるだろう。安全保障に必要なのは、勇ましい言葉ではなく、身の丈に合った現実的な対応策である。

また、洋上の米艦艇が攻撃される事態で、日本が集団的自衛権を行使してミサイル基地に反撃を加えるならば、それは中国本土への攻撃であり、本格的な戦争を呼び込むことになる。

防衛費を増額すると言っても、装備の数を増やせば、それを運用し、修理し、補給するための人員が必要となる。若年労働力が不足するなかで、自衛隊の定員を増やせる状況にはない。増額ありきで防衛費を増やせば、遊休装備を増やすだけの結果ともなりかねない。

そもそも、財源を一切示すことなく、防衛費の増額ばかり主張するのは責任ある政府の態度とは到底、言えない。

■抑止は、戦争になれば攻撃に耐えて反撃する意思と能力によって成り立つ。抑止を語るのであれば、防衛力強化の主張に止まらず、住民避難を検証するため実践的な訓練が必要なのであって、それなしに有事に国民を守ることはできない。

現実には自衛隊のミサイル部隊が既に配備され、情勢緊迫時に米軍のミサイルも展開されることが確実な南西諸島の住民を短期間で避難させることは不可能である。また避難経路上の安全が保証されるわけでもない。

戦争被害を前提とした「生き残り策」が日本の防衛論議には欠けている。政治とメディアが、兵器や作戦といった戦術論に目を奪われ、現実に発生しうる被害に目を向けることなく勇ましい議論に終始しているところに日本の危うさがある。

■自民党の提言とは別に、米国との核共有や有事における核持ち込みについて、非核三原則の見直しを主張する一部の声もある。

「核兵器は核戦争を抑止する目的のためにのみ存在する」という世界の常識があった。今日、ミサイルを完全に防御する手段がないなかで、米国、ロシアを中心に、通常兵器を抑止する手段として、低出力の核を実際に「使える兵器」とする試みが実行されている。この発想の延長線上には、低出力の核を抑止する手段としてのより大きな出力の核兵器の使用が予定されることになる。

日本の核政策見直しは、こうした抑止の力学のなかで、核軍拡の道を選択することを意味する。それは、国民が望むことなのか、そこに日本の未来があるのかが問われなければならない。

ウクライナ戦争においてロシアの核使用が懸念される状況のなかで日本が米国の核を配備すれば、他国に先制攻撃の口実を与え、アジアにおける核・ミサイル軍拡競争を招きかねない。

■政府は、ウクライナへの支援の一環として、防弾チョッキ、鉄帽に加え、ドローンを提供した。これらは殺傷兵器ではないが、使われ方によっては、日本も参戦したのと同じ結果を招く。提供した装備がどのように使用されているか検証のうえ、提供の妥当性について国会で慎重に議論する必要がある。

■日本国憲法をめぐる議論も提起されている。国防とは国を守ることであり、ウクライナ戦争を見ればわかるように、そのために国民の犠牲を求めることになるものである。

憲法改正の意義を「国民を守る」ことだとする言い方があるが、国民を守るために最も必要なことは、戦争を避けることである。戦争とは国民である自衛官の命の問題であり、戦火に巻き込まれて多くの国民の命が失われる問題である。その現実を考えず、安易に戦争を語ってはいけない。

日本国憲法前文には、「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」「いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務である(ママ)」と記されている。

それゆえ我々は、ロシアのウクライナ侵攻を許さず、「戦争をしてはいけない」という「普遍的な政治道徳」を貫こうとするのである。憲法の個別の条項を議論する前に、この原点に立ち返ることこそ、憲法論議の基本でなければならない。

■提言

ロシアのウクライナ侵攻を機に国民の不安が高まり、核を含む戦争の危機を実感する時期だからこそ、政治の場における感情に流されない冷静な議論と、メディアによる多様な視点の報道が求められている。

抑止のみが強調される傾向があるが、抑止とは、戦争による目的達成を阻止し、相手に手痛い反撃をする意思と能力を示すことである。そのためにはまず、こちらが相手の攻撃による被害を局限し、それに耐えることが不可欠の前提となる。それゆえ、有事における被害想定を抜きにした防衛論議は現実味を欠くのである。なかでも、米中という大国間の戦争における被害想定は、左右の政治的立場を越えて共有すべき議論の前提であり、早急に取り組むべき課題である。

同時に、抑止は、対立する双方の意思と能力の相互作用である。防衛力強化のみに固執して意思のコミュニケーションを欠けば、やがて抑止は破綻する。戦争の回避を安全保障の優先目標とするならば、米中・日中の意思疎通によって戦争を防ぐための外交が何より重要である。

 

2022年6月

参照:

ND政策提言「抑止一辺倒を越えて ―時代の転換点における日本の安全保障戦略」21年3月

ND政策提言「台湾問題に関する提言 ―戦争という愚かな選択をしないために」21年10月