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安全保障

今なぜ、集団的自衛権なのか―安全保障の最前線から考察する

('14 4/22 於:東京)

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安倍政権は2014年7月1日、憲法9条の解釈を変更し、現行憲法の下で集団的自衛権の行使は可能であると閣議決定した。しかし、集団的自衛権の行使の是非そのものや、閣議決定による憲法解釈の変更という手段について世論の多数が反対の意を示し、報道によれば今なおその反対の声は増え続けている。NDでは4月22日、政府の最前線で安全保障の実務に携わってきた柳澤協二ND理事らとともに、より実際的な観点から、集団的自衛権行使の必要性を考察した。

柳澤協二ND理事の基調講演(後述掲載)に続き、山口二郎ND理事(法政大学教授)、鳥越俊太郎ND理事(ジャーナリスト)が加わってパネルディスカッションを行った(発言要旨は下記)。

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山口理事

「国会で多数派をとれば何をやってもいい」というのはいわゆる「多数の専制」であり、これを制御するのが憲法、立憲主義。国が国際的にまっとうだとされるためには、権力が身勝手なふるまいをせず、憲法に従うことが必要。行政権の担い手である内閣が実質的な憲法改正の権能を持ってしまうということは、文明に対する挑戦。民主主義は選挙への参加のみを指すものではない。政権の方向性が世論と乖離した場合、市民が声を上げ、行動することも重要。

鳥越理事

在日米軍基地の利用や経済支援によって米国の戦争に加担してきた日本であるが、集団的自衛権の行使容認により、協力の度合いを強めることになる。冷戦末期、シベリアのICBM基地に赴いたが、格納されているミサイルの標的は、米国の次は沖縄であった。外国が米国に危害を加えようとするとき、東アジア地域で最前線基地を置く日本が真っ先に攻撃されるだろう。従来の自民党政権と違い、安倍政権は「国民の感情」を作り出す役割を持つ「教育」と「メディア」に直接働きかけを行い影響を及ぼしている点が大変懸念される。

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柳澤理事 基調講演

1 安倍政権は、なぜ集団的自衛権の行使容認を求めるのか?

安倍首相が集団的自衛権の行使を求める本質的動機は何かということを昨年来質問されてきた。2004年に出版された書籍において、安倍氏は、自らの世代の責任は日米安保条約を双務性あるものにしていくこと、同盟は血の同盟であり、そうしなければ日米は完全なパートナーにならない、と述べている。つまり、首相が「やりたいからやる」ということだろうと思う。その意味で、極めて理念先行型であり、それゆえ、論理的につじつまの合わない部分が生じてくるのだろう。

尖閣諸島の問題については、「無人の岩を巡る争いに俺たちを巻き込まないでくれ」というのが米軍の本音である。従来の、米国の戦争に日本が巻き込まれるのではないかという議論でなく、日本の戦争に巻き込まれることを米国が懸念する状況も生まれている。このような状況にあることも考慮した上で、集団的自衛権というものを考えなければならない。

2 集団的自衛権を巡る4つの事例と5つの歯止め

集団的自衛権の行使が必要だとされる代表的事例が4つあるが、どれも現実味がない。まず、米国の艦船が攻撃された場合にこれを守る必要があるというが、米艦船への攻撃は本当に戦争を覚悟しなければできないため、そもそもそのような場面は考えにくい。また、米国に向かうミサイルを撃ち落とす必要があるというが、北朝鮮からアメリカ本土に飛ぶICBMは北極圏を通り、はるかに速くて遠いところを飛ぶため、技術的に不可能である。加えて、船舶臨検や機雷封鎖を行う必要があるともいわれるが、これらの実効性はほとんどないと考えて良い。

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国際貢献のために集団的自衛権の行使が必要だという議論もあるが、これは他国の戦闘に介入しないという、これまで日本が貫いてきた姿勢を変更するものであって、その是非は慎重に考えなければならない。また、集団的自衛権の行使について歯止めがある、すなわち、日本の安全に大きな影響があること、当該国からの明確な支援要請があること、第三国を通るときにはその国の了解を取ること、などが歯止めとなると言われてきたが、当たり前のことを並べているに過ぎず、実行性は極めて低い。

今、日米関係を強化するとして認めようとしている集団的自衛権だが、行使の要請を断れば日米同盟を傷つける、逆の効果も生みかねない。

3 今、我々が考えなければならないこと

(1)安倍政権の姿勢
安倍政権は、「強い日本を取り戻す」と主張して、NSCの創設、秘密保護法の制定、武器輸出の解禁、集団的自衛権の行使容認を進めてきている。その背後には、歴史修正主義というか、20世紀の日本の歴史認識を転換しようとする意図があると思われる。しかし、米国は、これにより周辺諸国との無用な緊張が高まることを心配している。また、安倍政権は積極的平和主義を掲げているが、これは一言で言うと、日本は戦後一貫して国際秩序の受益者であったが、今後は秩序を形作る側にならなければいけないという考え方であるだろう。この2つの考え方が合わさることにより、パワーポリティックス、つまり、力を背景にした国際秩序の維持に日本も入っていくという姿勢が生まれていると思う。しかしながら、こうした力の外交はそもそも日本の身の丈に合わない。

(2)我々が考えるべきこと
集団的自衛権の行使容認を巡る議論は、つまるところ、日本の国家像をどう描くかという問題である。この議論が必要である。確かに、急速な経済発展を背景に発言権を拡大させる中国を前に、悔しいという思いもあるが、日本には、他の国にはない素晴らしい点がたくさんあるはずであって、それを大事にしていくことが重要である。例えば、他国の戦闘には介入しないという姿勢も、国際社会で信頼を得、一目置かれる存在になるためのきっかけになるのではないか。

最後に、ナショナリズムの高揚には非常に気をつけなければいけない。カール・フォン・クラウゼビッツというプロシャの軍人は、戦争をするためには、国民感情が高揚すること、有能な軍隊、理性的な判断ができる政府、この3つが必要といった。つまり、戦争をやろうとすれば、国民のナショナリズムをあおる必要があり、逆に戦争をしないようにするには、ナショナリズムを鎮めなければいけない。

残念ながら、韓国も中国も自国のナショナリズムを煽って、政権の正当性を高めようとしている。日本としては、これに翻弄されることなく、感情に流されることなく、自分たちの理性でこの国を立て直していく意識を強く持つべきである。