研究・報告

<英国の経験> 再処理で取り出されたプルトニウム、 生み出された高レベル放射性廃液と放射能汚染

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英・ジャーナリスト ポール・ブラウン(Paul Brown

日本の再処理と核燃料サイクル計画は、英国が辿った悲惨な道を突き進んでいるように見える。日本は同じ誤謬を犯すのではなく、英国がはまり込んでしまった最悪の事態を回避する道を歩んだほうが、はるかに良いだろう。

英国が再処理に着手したのは1952 年である。既に核軍拡競争を繰り広げていたアメリカとロシアに遅れをとるまいと、英国はウィンズケール核施設にプロトタイプの原子炉を設置し、その使用済み核燃料から取り出したプルトニウムを使って水素爆弾を製造した。

英国初となる再処理工場・B204は1964年、より大型の再処理工場・B205の運開に伴って閉鎖された。B205もとっくに閉鎖されていなければならないのだが、現在も稼働中である。

B205 は軍民両用で、設計上は年間 1500 トンの使用済み核燃料を再処理する能力を有する。同工場は長年にわたり、英国のマグノックス炉 26 基に加え、イタリアのラティーナ原子力発電所と日本の東海原子力発電所のマグノックス炉から排出された使用済み核燃料を再処理してきた。

計画では軍事用、つまりは核兵器製造のためにプルトニウムを分離・抽出するだけでなく、民生用にもプルトニウムと劣化ウランを取り出し、それらを混合して酸化物燃料(いわゆるMOX燃料)をつくり、新しい原子炉で再利用、ないしリサイクルすることになっていた。

B205は、初期こそ年間1,000トンの使用済み核燃料を再処理したものの、1990年代になると老朽化や故障のために処理量が落ち込んでいった。とはいえ、2008年までに累計47,000トンを再処理し、取り出された大量の劣化ウランとプルトニウムは使用されることなく、ひたすら貯蔵されている。

再処理はひどい汚染を伴う作業だ。セラフィールド工場は開設当初からアイリッシュ海に汚染水を垂れ流してきた。長さ1 マイル(約1600メートル)のパイプから、プルトニウムやセシウム、その他の放射性核種が海洋へ放出されたのである。

地元の魚介類や、アイルランド、ノルウェー、デンマークの貝類からは放射能が検出され、前者については食用にするのにリスクが高すぎないか、定期的に検査されなければならなかった。また地元住民は、貝類の摂取を控えるよう勧告された。

1957年、最初のプルトニウム生産炉の一つで火災が発生し、大惨事となった。セラフィールド核施設周辺における小児白血病の多発は、この火災事故のせいだと大方が見ているが、原子力産業は責任を認めようとしない。その一方で、ガンで死亡した地元住民や労働者の遺族に対し、秘密保持契約書への署名と引き換えに、何十年にもわたって補償金を支払い続けてきた。

汚染を垂れ流してきたB205は、2012年に閉鎖される約束が2018年、2020年とずれこんでいき、現在も操業している。工場が未だに閉鎖されないのは、故障続きで作業が滞っているためだとか、最近ではコロナ禍も口実にされている。

これらふたつの再処理工場に加えて1977 年、「リサイクル・プロジェクト」と称される第三の工場—熱酸化物再処理工場 (THORP、Thermal Oxide Reprocessing Plant)—の建設計画が打ち出された。当時は原子力発電の拡大が見込まれていたことから、再処理は儲かるものと期待されたのである。THORPで回収されたプルトニウムとウランは、比較的新しい原子炉や、その頃はまだ有望視されていた高速増殖炉計画に供給されるはずだった。しかし今日では誰もが知っているように、いずれも頓挫した。

計画から9年後、長期に及んだ公開聴聞会を経て、英国政府がTHORPの設置を許可した頃には、既に多くの海外企業と再処理契約が結ばれてしまっていた。

THORPは1992年、ようやく完成した。1978年に3億ポンドと見積もられていた建設費は、23億ポンドに跳ね上がっていた。再処理作業がスタートした1994年までに、当時の運営会社である英国核燃料会社(British Nuclear Fuels Ltd、BNFL)は7,000トンの使用済み核燃料を再処理する契約を獲得していた。なかでも突出していたのが日本である。日本は軽水炉の使用済み核燃料2,673トンを委託し、THORPの最大顧客となった。BNFLはその他にドイツやスイスを含む8カ国からも再処理を受託した。

THORP の設計上の処理能力は年間 1200 トンだったが、それを達成したことはなかった。工場は徐々に処理量を増やしていき、4 年後に 900 トンに達したものの、以降は酸性物質の流出、配管の漏洩や目詰まり、工場に一基しか設置されていない高レベル液状廃棄物の蒸発缶のトラブルなどのために、処理量は減少していった。

2005年4月、最悪の事故が発見された。硝酸液で溶かされた22トンもの燃料が、配管の亀裂から工場の他の区画へ漏れ出していたのである。修復作業のためTHORPは3年間操業停止となり、日本を含む海外顧客の再処理は11年の遅れをきたしかねない事態に直面したのである。

そして2018 年 11 月、THORPはついに閉鎖された。24 年間の処理量は 9,331 トンである。これは設計上の年間処理能力の 3 分の 1 に過ぎない。

前述のように、再処理の目的は核兵器製造のための材料を英国と、そして時折り米国にも供給する他に、新燃料を原子炉にも供給することだった。後者は、完全に破綻している。

1963年から1988年の25年間のうちに、セラフィールド核施設で製造されたMOX燃料は約20トンである。これは再処理の結果、英国が保有している核物質のごく一部でしかない。

MOX燃料の製造を拡大するため、MOX実証施設(年間製造能力8トン)が建設され、1993年に運転を開始した。英国の原子炉でMOX燃料を使う予定はなかったが、日本、ドイツ、スイスからの受注は確保されていた。ところが操業は計画通りにはいかず、5年間の製造量は16トンにすぎなかった。しかも、製品に添付される品質保証データを施設の夜勤職員が改ざんしていたことが、最後の注文となったMOX燃料が日本に到着した時、英国で発覚した。

これにより、日英原子力事業者間の信頼関係はひどく損なわれ、英国は賠償金として日本に1億3,300万ポンドを支払った。この施設は永久閉鎖され、データ改ざんが発覚した燃料は英国に返還された。

この失態にもかかわらず、BNFLはMOX燃料の製造を拡大しようと、さらに大きな工場を建設した。新工場は、THORPで生産されたプルトニウムとウランを直接混合して燃料に加工するというもので、年間120トンを製造するとの触れ込みだった。

建設費は4億9000万ポンドに上り、稼働期間は20年の予定だったが、一度たりともまともに稼働したことはなかった。計画では、プルトニウムを10パーセント含有する燃料を製造することで、THORPが生産したプルトニウム在庫を使い切るはずだった。

先のデータ改ざんスキャンダルが尾を引き、日本は新規発注を拒んだが、いくつかのヨーロッパの電力会社はMOX燃料を発注した。しかし、操業は触れ込みのようなレベルには遠く及ばず、120トンとされていた年間製造量は40トンに下方修正された。運転実績はさらにお粗末で、2005-06年は2.3トン、2006-07年は2.6トンだった。

新工場は重大な技術的トラブルが続出し、製造された使用可能な燃料はわずか5トンにすぎない。同施設は2011年に閉鎖され、600人が職を、そして英国の納税者は14億ポンドを失った。

不可解なことに、これだけ巨額の投資をしてきた一方で、国内の原子炉でMOX燃料を使う計画は皆無だったし、現在も存在しない。とにかく製造コストがかかりすぎるからだ。

生産されたプルトニウムとウランは使途がないにもかかわらず、THORPの操業は続けられた。日本など海外から受注した使用済み核燃料をせん断して溶かすことで、金を儲けてきたのである。そして2018年、THORPはやっと閉鎖された。

現行の計画では、長さが2キロもある、このだだっ広い施設は、2070年まで英国の使用済み核燃料の貯蔵場所として使用される。

第三者の目には、用途もなく、ただ備蓄されるだけのプルトニウムとウランを生産するため、膨大なコストをかけて再処理工場を運転し続けるというのは、とうてい理解しがたく、正当化も難しいに違いない。

再処理は危険な廃棄物も生み出す。最も取り扱いが難しいのは、使用済み核燃料を濃い硝酸で溶かし、ウランとプルトニウムを分離した後に残る、高熱を発する廃液だ。

セラフィールド核施設ではこの廃液を貯蔵しておくタンクが腐食し、深刻な問題を引き起こしてきた。この問題に対処するため、廃液を蒸発・減容させ、1150℃でガラス原料と混ぜて固化体にする。しかし、これらの蒸発缶の運転とその維持は技術的に難しく、停止はしょっちゅうだった。

当初、設置された蒸発装置は一基だけだったが、作業に時間がかかるため、増設されていった。それらが設計通りに動くまで何年もかかったが、今では数千体の高レベル放射性ガラス固化体が敷地内に保管されている。そのうち約1000体が日本に返還されることになっている。

これらのガラスの塊の処分先は、今もって世界のどこにもない。

核の再処理という、破綻に終わった「野望譚」の最終章は、セラフィールド核施設に置き去りにされている「負の遺産」ではないだろうか。

放射能汚染された400棟を超える建物は、すべて安全に解体・撤去される必要がある。

世界最大の保有量となる約140トン-核爆弾を数先発以上製造できる量-のプルトニウムは、三重のレザーワイヤーフェンス(カミソリ歯を仕込んだ鉄条網)に囲まれた特別区で、武装警官に厳重に警備され保管されている。

このうち英国に属するのはおよそ112 トンで、残りはセラフィールド工場に再処理委託した日本を含む外国の所有である。これについては、英国は十分な補償金と引き換えに、プルトニウム所有権を引き取ると、かねてより日本に提唱している。

プルトニウムに加えて、再処理で回収されたウランが99,000 トン以上も保管されているが、現状では利用先がない。また、これから原子炉から排出される、あるいは貯蔵されたままとなっている使用済燃料が6,100 トンある。それらが再処理されることはないだろう。

さらに、セラフィールド核施設における再処理とそれに関連する作業のために放射能汚染された土壌は630万立法にも及ぶ。

残された高レベル放射性廃液、中レベルおよび低レベル放射性廃棄物を安全に管理処分するには、そのための一大産業が必要だ。

廃棄物の中には危険ではなくなるのに何千年、何万年もかかるものもある。これまでのところ、英国も他の原子力利用国と同じく、このきわめて危険な廃棄物のどう処分するか、その答えを見出せずにいる。地下処分施設の設置場所を40年もかけて探しているが、うまく行かず、その試みは今も続けられている。

セラフィールド核施設に残された廃棄物を安全に保つため、英国の納税者は毎年30億ポンドを負担している。そして6000名の労働者が、電気とか何か有用なものを生産するためではなく、廃棄物を管理するためだけに雇われている。この敷地と建物がすっかり安全になるには、100年はかかる見込みだ。

60年間に及ぶ再処理が残したプルトニウムとウランの扱いは決まっていない。英国政府はこれらを廃棄物ではなく資産とみなしているが、それらを保管する目的は明示されていないし、使用する計画もないのである。

 

※本報告は2021年12月18・19日に開催された「英独米中韓日6ヵ国シンポジウム〈増えるプルトニウムと六ヶ所再処理工場―核燃料サイクルの現実と東アジアの安全保障―〉」に基づいています。内容と意見は報告者個人に属し、NDの公式見解を示すものではありません。

6ヵ国シンポジウム報告書<概要版>

※この企画は一般社団法人アクト・ビヨンド・トラスト(abt)の2021年度助成金を受けています。

ポール・ブラウン(Paul Brown)

ジャーナリスト。英「ガーディアン」紙で25年間記者を務め、そのうち16年間は環境コレスポンダント。1983年から原子力産業について執筆、現在に至る。調査報道や環境ジャーナリズムの賞を受賞。著書多数。ケンブリッジ大学ウルフソン・カレッジ研究員、王立地理学会名誉会員。