【imidas 6/6】

グアムと米軍再編と沖縄(下)
第3回
2017/06/06
猿田佐世

あらゆるものごとは、さまざまな角度から見る必要がある……。

今回のグアム調査で、それを実感した。

米軍再編により沖縄から海兵隊がやってくることになるグアム。今回、その現状をグアムの側から見てみようと現地調査を行った。グアムの歴史的な背景を取り上げた前回に続き、今回は、海兵隊移転問題をめぐる現地の状況を報告する。

グアムの米軍基地

アメリカの軍事的な議論において、グアムは「槍の先端」と呼ばれてきた。

カリフォルニア、ハワイ、グアムと米軍基地が位置する太平洋において、紛争を抱える東アジアや中東にもっとも近く位置する前線基地がグアムである。グアムには、現在、沖縄の嘉手納空軍基地の4倍の大きさがあるアンダーセン空軍基地、原子力潜水艦の母港であり原子力空母が寄港するアプラ軍港、海軍弾薬庫地区、海軍通信基地などの米軍基地がある。グアム島の約3分の1がアメリカ国防総省の所有地となっていることは前回述べたとおりだ。

グアムの米軍基地の歴史は、太平洋戦争にさかのぼる。真珠湾攻撃と同じ1941年12月8日、日本軍がグアムを空爆、10日には首都ハガニアを占拠して、グアム占領を宣言した。44年夏に、米軍が日本軍を撃破しグアムを奪還。アメリカは、直ちにアンダーセン空軍基地やアプラ港海軍基地を整備して対日攻撃の前線基地に変えた。45年には、グアムやサイパン島の隣にあるテニアン島から出撃したB29爆撃機が、沖縄、東京をはじめ日本全土の主要都市を空爆した。

その後、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争などアメリカの戦争において、グアムから多くの爆撃機が出撃している。

軍・基地に対するグアムの声

グアムでは従軍者が人口比において全米一多いことも前回触れた。これに表れるようにグアムの人々の軍隊に対する積極性は相当程度に高い。現地でインタビューをしてみても、海兵隊移転に反対する人々であっても、家族に従軍者がいることが少なくない。さらに「(海兵隊移転による)基地増強(military buildup)」に反対しているのであって、「基地反対」「軍隊反対」ではない、と述べる人も多かった。

常夏のグアムにて屋外でインタビューをしている際、戦闘機の爆音が鳴り響き、インタビューを中断せざるをえないことがあった。沖縄の基地のそばでよく耳にする、会話を遮るほどの爆音である。「いつもこの音に悩まされているのか」と聞くと、「これは珍しい。ほとんどない」との返事。

また、沖縄の基地反対運動においては、頻繁に発生する米軍関連の事件・事故が大きな反対理由のひとつになっているが、グアムにおいては事件・事故についての強い批判もあまり耳にしなかった。

グアムでは基地が民間居住地と離れているからか、あるいは、グアムがアメリカ領であることから米軍人の公務外の犯罪が一私人の犯罪として処理されることになるからか、その理由の解明にはさらなる調査が必要であるが、いずれにせよ、事故・事件に対する批判は少なかった。

米軍再編でグアムに起きた反対運動

もっとも、軍に対する積極的姿勢が強いグアムにおいても、米軍再編を機に大きな反対運動が起こった。

2006年、日米両政府は「再編実施のための日米のロードマップ」を発表。沖縄から海兵隊員約8000人とその家族約9000人がグアムに移転されることとなった。

09年、国防総省から「環境影響評価案(Draft EIS)」として具体的なプランが公表されると、米軍再編がグアムの人々の生活に大きな影響を与えることが明らかになった。わずか数年で島の人口が1.5倍に膨れ上がり(ピーク時計算)、水不足や電力不足、また、さまざまなインフラ不足が懸念されること、チャモロ人にとっての神聖な土地「パガット」に射撃訓練場の建設が予定されていること、海兵隊受け入れのための各施設建設による環境破壊や土壌・水質汚染などの可能性もあること、など、種々の問題を含んでいた。

雇用増や経済効果を期待し、計画を歓迎していた住民も少なくなかったが、これを受け、大きな反対運動が起こった。チャモロの神聖な地への射撃場建設には、チャモロの人々のみならず、アメリカ本土でも反対の声が上がり、多くの反対署名が寄せられた。

この反対運動は、アメリカの財政難への対応と連動して、ワシントンの政治を動かしていくこととなった。11年5月、アメリカ連邦議会の、ジョン・マケイン上院議員、カール・レビン上院議員といった上院軍事委員会の有力者が、当時の米軍再編計画を「非現実的・実行不可能かつ財政的に負担困難」とプラン変更を求めた。

2012年、米軍再編の見直しが発表され、グアムへの海兵隊移転計画は大きく変更された。

沖縄から移転する海兵隊の隊員数は、見直し前の計画では司令部を中心とした約8000人であったが、見直し後には、実戦部隊中心の約4000人に縮減された。家族同伴が多い司令部に代わり単身でやってくる者の多い実働部隊の移転となったために、グアムにおける海兵隊員の移転に伴う人口増(海兵隊の家族や建築業者なども含む)も当初の約8分の1(ピーク時計算)にまで減るとされた。また、射撃訓練場の設置もチャモロの聖地からアメリカ連邦政府が管轄している土地へと変更された。

米軍再編の見直しを見る……沖縄から、ワシントンから、グアムから

12年2月初旬、私はワシントンでアメリカ国務省のあるスタッフとお茶を飲んでいた。別れ際、彼は、「もうすぐとても大きな変更を発表するから」「楽しみにしていて」と言った。対日外交に深くかかわる地位にあった彼であったが、その1週間後、2月8日に「米軍再編の見直し」が発表された。

この「米軍再編の見直し」は、日本では「辺野古基地建設と海兵隊グアム移転との切り離し」として大きく報道された。辺野古基地建設が進まずともグアムへの海兵隊移転が進む可能性がある、と評された。

この突然の「見直し」を聞いた当時の私は、なぜ見直されることになったのか、これはどういう意味を持つのか、いま一つその背景や全体像を理解できないでいた。当時から私はワシントンでアメリカ議会に対するロビーイングをしていたため、アメリカの財政難の事情も上院軍事委員会での動きも一定程度理解はしていた。グアム選出の下院議員から、グアムのインフラは海兵隊受け入れには不十分なので、海兵隊の多人数の受け入れには反対であると、直接聞いたこともあった。

しかしそれでも、日本(沖縄を含む)を中心にこの変化を捉えていた私には「米軍再編の見直し」の全体像や変化の理由について、理解はするものの、不透明な感覚が残らざるを得なかったのである。

「とても大きな変更」とはいうものの、辺野古の基地建設予定は変わらないし、「切り離し」といってもその後、実際はグアムへの移転も進まず、なぜ司令部と実働部隊が入れ替わったのかについての十分な説明もない……。

しかし、今回初めてグアムを訪問し、パズルの最後のピースがカチッとはまった気がした。

グアムにとっては、米軍再編の一連の見直しは、「移転隊員数は大幅に縮小」「家族を同伴しない実働部隊へ」「聖地への射撃場の建設中止」などといった大きな意味を持つものであったのである。

そして、その変化を生じさせた一端を、グアムの人々の反対運動が担っていたのだ。

まだ理解に不十分な点もあるだろう。しかし、あの国務省の彼の一言から5年を経て、米軍再編見直しの意味や背景事情を、このグアム訪問で、私なりにやっと理解できたような気がした。

なお、「反対運動が起き、米軍再編が見直された」という流れに興味を持った私は、あるグアム議会議員に「反対運動が米軍再編を変えたのですか?」と聞いたところ、「私たちはそう思っている。彼らはけしてそうは認めないが」との答えが返ってきた。

米軍再編見直しのその後

これらの見直しにより、グアムにおける反対運動は収束したと一般的には評価されている。

もっとも、問題がなくなったわけではない。例えば、射撃場建設の候補地は、聖地パガットからグアム島の最北端のリティディアンと呼ばれる地域に変更されたが、この地域も自然が豊かな土地であり、また、本来はグアムの人々に返されねばならない土地であるとして、今も根強い反対運動が続いている。

「沖縄の海兵隊のグアム移転」は、沖縄からすれば海兵隊の規模縮小を意味するが、グアムにとっては海兵隊がやって来ることを意味する。

あらゆるものごとは、さまざまな角度から見ていかねばならない……それを実感したグアム調査であった。

なお、5月末、ネラー米海兵隊総司令官が北朝鮮の核・ミサイル開発の進展を踏まえ、在沖米海兵隊のグアム移転計画を見直す可能性に言及した。

今後も、突然の計画変更がなされる可能性があるが、その際にも、様々な視点をもちながら各事象の全体像を理解していきたい。