時代の正体〈634〉「抑止力」という幻想 沖縄県知事選を問う(下)元内閣官房副長官補・柳沢協二さん

時代の正体〈634〉「抑止力」という幻想 沖縄県知事選を問う(下)元内閣官房副長官補・柳沢協二さん

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【時代の正体取材班】文・写真=田崎 基(神奈川新聞)

沖縄の基地問題を調査・研究してきた「新外交イニシアティブ」(ND)が沖縄県知事選(13日告示、30日投開票)に合わせ、「沖縄と米軍基地-県知事選で問われるべきは何か-」と題するシンポジウムを開催した。辺野古新基地問題を巡る今後の展開や解決策が見いだせない沖縄の現状、日米地位協定、米軍基地が地域にもたらす汚染などが語られた。元防衛官僚の柳沢協二さんは、「抑止力」論の意味について語った。

沖縄県知事の翁長雄志さんが亡くなるその前に沖縄に行った。私は東京に住み、これまで長い間、防衛官僚を勤めてきて一体自分がこの沖縄の問題にどのように関わっていくかと考える。私にはっきりと言える答えは今はない。

ただ、どうすれば多くの人がこの問題を考え、動くのか。そこが一番大事なのだろう。簡単ではない。

今年の夏、長崎原爆の日に安倍首相が長崎を訪問し、被爆者の方から「日本はなぜ核兵器禁止条約について話をしないのか」と問われ、首相はこう答えた。

いろんな考え方の国があるから、日本はその橋渡しをする必要がある、と。

一体これはなんなんだ。

被爆者の方がどんなに望んでもまともに答えられない。

この構図は、沖縄がどんなに意思を表明しても政府が答えられないという構図と、極めて似ていると感じる。

「抑止力」のうそ

日本政府はかつて、核兵器禁止条約に反対した。オバマ大統領が当時、核兵器の先制不使用を宣言しようとしたときには反対し、つぶしに動いた。なぜか。

米国の核の傘に依存しなければ、戦争も防げない、日本の安全を守れないと思っているからだろう。米国の核を含む抑止力がないと背中が寒くて仕方ないという感覚だ。

しかし、この「抑止力」とは一体なんだろうか。

脅威というのは、日本を攻撃する「能力」を持った相手が、日本を攻撃する「意思」があるから、それが日本にとって脅威になる。

ミサイル攻撃の能力を相手国が有しているとき、どうすれば脅威をなくすことができるか。撃とうとする意思をなくすしかない。

ではなぜ撃とうとするか。それは例えば、北朝鮮にとって一番恐れている米軍が日本に駐留しているからだろう。

この論理がなぜ通用しないのか。脅威だけでなく、抑止についても同じことが言える。

戦争を仕掛けたら、より強い力で反撃される、それでもいいならやってみろ、というのが抑止の概念だ。

米国は既に膨大な核と軍隊を持ち、いまも世界最強の軍事大国だ。つまり米国に「能力」はある。だが核を使用する「意思」はあるだろうか。

例えば、人も住んでいないような日本の離島を守るために、米兵の血を流す覚悟が米国にあるだろうか。

抑止力というのは「反撃してくる」と相手国が信じなければ機能しない。

ここに疑いがある。

だとすれば、なぜ日本はこの不確かな「抑止力」に依存するのだろうか。

過去の神話

確かに、冷戦期には核兵器も使用の可能性があったかもしれない。

死んでも守りたい価値のためであれば、結果的に自殺的な行為であろうと、やる。そうした前提で戦争を考える。

そのような場面では核は使われ、相手も使い、人類は滅びる。それでもいいから守るのだという論理が、少なくとも冷戦期には存在したのだろう。

だから戦争になれば核が飛んでくる、互いに滅んでしまう、だから戦争を避けよう。この発想が「相互確証破壊」に基づく抑止だと言い、共有されていた。

共産主義の支配が及んでくるという意味では同盟国についても同じことなので、米国は核を使ってでも介入するという発想が「拡大抑止」だ。

核兵器は相手を消滅させるものであるため、道義的に許されるものではない。

しかし、その悪の兵器がなぜ許されてきたのか。それは戦争を防ぎ、結果として使われないことによって戦争が回避されてきた、という意味で核の抑止力があるとされてきたからだ。冷戦期には確かにこうした神話があった。

倒錯の抑止概念

それが同じように、いまでも続いている。だがいま米国にそのような意思があるだろうか。そんな意思はもはやないだろう。

これはもう抑止力ではない。

いま日本にあるのは「米国の抑止力を守らなければならない」という倒錯の概念だ。相当おかしなことになっている。

この倒錯した抑止力信仰に依存している限り、どの政党が政権を担っても、長崎、広島の声や、沖縄の思いが政策に生かされることはきっとない。

私はいま、「抑止力」という発想から抜け出すことができなければ、この国に未来はないのではないかとさえ思っている。

消えぬ矛盾を前にして

新外交イニシアティブ(ND)の事務局にいた沖縄県出身の大学院生、元山仁士郎さんが、辺野古埋め立ての賛否を問うための県民投票条例制定に向けた運動に取り組んでいる。

これは勝っても負けても大きな意味をもたらすだろう。若い人たちが自分たちで主導し「お前の責任だよ」と言ったとき、やはり基地問題について考えざるを得ないのではないか。

一方で、県知事選の結果がどうであれ、県民投票の結果がどうであれ、安倍政権は辺野古新基地建設を強行してくるのだろう。

沖縄の抱える矛盾が消えるわけではない。それを沖縄の人たちがどう受け止めていくのか。

そのとき本土に住む私たちはどのようにして知恵を出していくことができるのか。共に考えていく必要がある。

やなぎさわ・きょうじ

新外交イニシアティブ評議員。東大法学部卒。防衛庁(現防衛省)入庁、官房長、防衛研究所長を歴任。2004~09年に内閣官房副長官補。著書に「自衛隊の転機 政治と軍事の矛盾を問う」(NHK出版新書)ほか。