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【書評】

『虚像の抑止力-沖縄・東京・ワシントン発安全保障政策の新機軸』(ND編・旬報社)

土谷岳史(高崎経済大学准教授) 2014年12月

本書『虚像の抑止力』は新外交イニシアティブ(New Diplomacy Initiative/ND)というシンクタンクの手によるものである。NDは既存の外交が限られたチャンネルの中にあり、届かない声があることを問題視し、多様なネットワークの構築により新しい外交の実現を目指している。本書は沖縄の海兵隊が持つとされる抑止力を再検討するものであるが、内容に入る前に沖縄の基地をめぐる最近の動きを確認しておこう。

 

先月沖縄では知事選が行われ、「オール沖縄」を謳い普天間基地の辺野古移設に反対する翁長雄志氏が当選した。政府の支援を受け、基地移設に賛成する前知事の仲井真弘多氏を10万票近い大差で破ったのである。先日の総選挙でも、自民党は選挙前の議席を減らしたものの公明党と合わせて公示前の議席を維持したが、沖縄では「オール沖縄」の4候補に全敗した。

 

普天間基地の県内移設反対という沖縄県民の意思はこれまでも何度も表明されてきた。民主党鳩山政権が「最低でも県外」と表明してから沖縄の基地問題は「混乱」した、「沖縄県民の気持ちを弄んだ」などとも言われるが、県民の意思は明確である。移設先の名護市長選では移設反対派が2度勝利し、知事選でも仲井真前知事は県外移設を掲げて当選していた。その仲井真前知事は任期中に辺野古移設受け入れへと変節したが、これを受けて2013年1月に沖縄全41市町村の首長らがオスプレイ配備撤回および県内移設反対の「建白書」を安倍総理に提出した。そして今般の翁長新知事の誕生と総選挙である。沖縄県民は明確に県内移設に反対しているのである。

 

これに対して、外交・安全保障の観点から辺野古移設は不可避との意見もある。その意見からすれば、鳩山政権は沖縄県民に無用の期待を抱かせたということになる。しかしこれほど沖縄県民をバカにした物言いもないだろう。どのような意思を持とうとも沖縄県民の意思は無視すると言っているにすぎないからである。辺野古移設か普天間の固定化かという選択肢の押し付けは脅迫に他ならない。日本が民主国家であるならば、安全保障と両立する形で沖縄県民の意思を叶える道を探らなければならない。

 

安全保障については様々な考え方が存在する。軍隊は国民を守らないという、沖縄戦などの歴史的経験に基づくリアリティもある。国家が自国の人々の安全保障の脅威となる例は珍しいものではない。しかもことは米軍という外国の軍隊である。沖縄の人々はこれまでも米軍という脅威にさらされてきた。米軍の存在自体が脅威であれば在日米軍の撤退が求められるだろう。

 

しかし日米安保によって日本の安全が保障されているという考えも広く受け入れられているだろう。伝統的な安全保障論によれば、国家とは異なり国際社会は上位権力が存在せず、他国を完全に信用することはできないため国家は他国からの侵略に備えて自衛しなければならない。他国と軍事同盟を結ぶことは自国の安全を高める重要な手段となる。日本の安全保障をどのように実現するかは広く国民の議論によって決められるべき事柄であるが、このような「現実主義」の立場が安全保障論において主流であることも事実である。

 

さて前置きが長くなってしまったが、本書の特徴は、アメリカおよび日本の政府が拠って立つ、国家の軍隊は国民を守る、軍事同盟は安全保障に資するという「伝統的」で「現実主義的」な前提を受け入れたうえで、在沖米軍が必要不可欠かどうかを問い直す点である。県外移設を断念した鳩山元総理が後に「抑止力は方便だった」と述べ、防衛大臣も経験した安全保障の専門家である森本敏が抑止力の観点からすれば海兵隊が沖縄にいる必要性はないと言ったことは比較的知られている事実だろう。これを踏まえると、日本政府や政府の側に立つ安全保障の専門家が前提とする世界観を受け入れたうえで沖縄と日本の安全保障について合理的に再考してみる本書のスタンスはいま最も求められるものであろう。

 

本書の構成を確認しておけば、第1章で元防衛官僚の柳澤協二が「基地問題にどう向き合うか」と問題を提起し、第2章で元沖縄タイムスの論説委員でジャーナリストの屋良朝博が「海兵隊沖縄駐留と安全保障神話」で海兵隊の実像を明らかにする。第3章で東京新聞で安全保障問題を専門とする半田滋が「日米の盲目的な主従関係が招く沖縄支配」で日米関係の中に沖縄を置く。そして第4章はジョージ・ワシントン大学教授のマイク・モチヅキが「抑止力と在沖米海兵隊」で抑止力論の観点から検討している。この4人の議論を元にND事務局長の猿田佐世が加わり座談会「沖縄基地問題の分水嶺」が収録され、最後に猿田の「豊かな外交チャンネルの構築を目指して」で締められている。

 

柳澤によれば、沖縄は日米安保体制にともなう矛盾の「受け皿」の役割を担わされてきた。すなわち、米軍基地は国家の安全を高めるが、国民の生活には脅威であり、国の独立を損なうものであり、平和憲法とも矛盾するものである。この矛盾は、本土の基地縮小と沖縄という「辺境」への矛盾の封じ込めによって不可視化が図られた。沖縄県民の反対は全国版の選挙でかき消されるのである。国土面積の0.6%の沖縄に在日米軍専用施設の74%が集中している事実は矛盾の封じ込めによるものであり、常に持ち出される抑止力論で説明できないことは、昨年閣議決定された「防衛計画の大綱」でも確認できる。大綱では海兵隊の抑止力が説明されていないどころか、尖閣を含む南西諸島の防衛は主力が北海道にいてもできるということになる。

 

屋良は「防衛白書」を分析し、そこで強調される沖縄の「地理的優位性」はイメージによる印象操作に過ぎないことを明らかにする。つまり、日本政府はシーレーン防衛や中国艦船との対決における沖縄の位置を強調するのだが、海兵隊は地上戦闘兵力であり、この点で戦力とはなりえない。したがって抑止力ともならないのである。

 

実際に海兵隊が何をしているかを見てみると、日本ではあまり報道されないが、中国も含めた多国間の信頼醸成も行っている。そして沖縄の海兵隊はといえば、米軍再編の中で主力はグアムへ移転し、司令部の他に残るのは、非戦闘員救出作戦や人道支援・災害復興活動を任務とする部隊のみとなる。紛争などに対応する部隊ではないのである。これは沖縄の「地理的優位性」が虚構であることを示す。米軍再編の中で海兵隊は沖縄の他、グアムやオーストラリアに分散配置されることで太平洋全域を網羅する活動が意図されている。屋良によれば、問題はむしろ沖縄に基地が集中し過ぎている点にある。

 

日本政府の海兵隊抑止論の虚構はアメリカの言いなりになる日本政府の姿からも見えてくる。半田が示すように、日本政府は抑止力を理由に反対していた海兵隊主力部隊のグアム移転を受け入れ、残った部隊も沖縄にいる期間は年に2、3か月程度である。にもかかわらず、日本政府はあいかわらず抑止力を根拠に基地負担に反対する民意を力業でねじ曲げたり無視したりしている。近年の沖縄での選挙のたびに自民党の重鎮が露骨な利益誘導を繰り返していることはよく知られていよう。日本政府はアメリカの歓心を買うために沖縄を差し出しているのである。

 

以上の抑止力論の虚構性は岡崎行夫や森本敏といった日本の安全保障の専門家の議論に関するモチヅキの分析からも確認できる。彼らの議論から見えてくるのはアメリカに対する不安感であり、海兵隊が抑止力の観点から必要不可欠ではないという点である。客観的に見ればむしろ対中国を考えた場合、屋良の分析が示唆するように、そして知日派の代表であるジョセフ・ナイも認めるように、地理的に近すぎるため沖縄への過度の集中は抑止力を弱体化させかねない。米軍再編の中で見ると辺野古のV字滑走路だけでなく、北部訓練場も必要ないのである。

 

ではなぜこのような事実が多くの人の目に触れず、沖縄に基地を集中させることが「現実的」であるという倒錯が起こるのだろうか。辺野古移設か普天間の固定化かという「現実主義的」にも虚構の選択肢しか見えないのだろうか。猿田によれば、日米のネットワークは数少ない「知日派」を通じたものしかない。しかもワシントンという場が持つ拡声器効果によって「知日派」の発言は日本でさらに影響力を持つ。そのため日米ともに限られた情報のみが流通し、政策が決まる状況にある。アメリカには辺野古移設以外の案を受け入れる余地があり、沖縄からの海兵隊撤退を主張する連邦議会議員や専門家も存在する。そこで多様なチャンネルを構築し、国境を越えて問題に取り組むことが必要であると猿田は説く。

 

先に見たように本書の特徴は「現実主義」的な立場を取ったうえでの抑止力論の再検討であった。県知事選、衆議院選で負けたにもかかわらず日本政府が、普天間基地の固定化か辺野古移設かという選択を強硬に沖縄に突き付けている現在、「現実主義」の名のもとに沖縄の基地を正当化する議論に対して同じ「現実主義」の立場からの有効な対抗手段を与えてくれる本書の価値は極めて高いものである。

 

ただ最後に指摘しておけば、本書が同時に示唆しているのは、これまで「現実主義」の名のもとに沖縄に押し付ければよいと「合理的」な計算が働いてきたということではないだろうか。現在、沖縄に基地を置くことが非合理的である理由のひとつは沖縄の人々が反対の声を上げているからである。「軍事的には沖縄でなくてもよいが、政治的には沖縄しかない」という森本敏の言葉に対して、柳澤が書くように「政治的に沖縄に置くことこそ不可能だ」ということになる。しかしこのような「合理性」は、軍事的合理性が証明された場合のみならず、沖縄県民の抵抗の意思が見えなくなった場合にも森本の言葉を正当化しかねない。

 

沖縄の基地問題が典型的だが、「合理性」の裏には差別が隠れていることが多いのである。翁長新知事は安倍総理に向けて「『日本を取り戻す』の中に『沖縄』は入っているのか」と問うた。「現実主義」の立場を取るにせよ、評者のような「本土」の人間たちは「沖縄を差別しているのではないか」と問うことから始めなければならないだろう。さもなければその抑止力論は再び少数者に負担を押しつけることで成立しかねないだろう。

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